武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・女となりては父の為にし
彼は勁健、柔和、剛壯、悲側の聲交も至り、切々として日夜其小巢の爲に歌へり。女となりては父の爲にし、妻となりては夫の爲にし、母となりては子の爲にして、自から犠牲たるに甘んじ、女子少小にして業に自己を棄つることを知る。其一生を擧げて自主の人たらず、却つて他に隷從奉仕せり。男子の配偶となり、其の在るによりて、夫を補佐するを得ば、側に侍し、其の事に妨ぐることあらば、屏後に退く。靑春の男子の少艾を慕ふや、女も亦た報ずるに熱切の愛を以てすと雖、若し女子の故に男子の其義務を忽にするが如きことあらんか、女子の自から其美貌を損して、以て男子の愛を失はんことを欲したるの逸事尠からず。武士の女子が理想の妻たる吾妻は、仇し男の慕ふ所となり、我愛を獲んが爲に、良人の命を殆くせられんとするや、自から亦た不義に與するに託し、闇夜竊に良人に代り、而して熱情ある刺客の刄は、其堅貞なる首に下りたり。
新字:彼は勁健、柔和、剛壮、悲側の声交も至り、切々として日夜其小巣の為に歌へり。女となりては父の為にし、妻となりては夫の為にし、母となりては子の為にして、自から犠牲たるに甘んじ、女子少小にして業に自己を棄つることを知る。其一生を挙げて自主の人たらず、却つて他に隷従奉仕せり。男子の配偶となり、其の在るによりて、夫を補佐するを得ば、側に侍し、其の事に妨ぐることあらば、屏後に退く。青春の男子の少艾を慕ふや、女も亦た報ずるに熱切の愛を以てすと雖、若し女子の故に男子の其義務を忽にするが如きことあらんか、女子の自から其美貌を損して、以て男子の愛を失はんことを欲したるの逸事尠からず。武士の女子が理想の妻たる吾妻は、仇し男の慕ふ所となり、我愛を獲んが為に、良人の命を殆くせられんとするや、自から亦た不義に与するに託し、闇夜窃に良人に代り、而して熱情ある刺客の刄は、其堅貞なる首に下りたり。
書き下し
彼は勁健、柔和、剛壮、悲惻の声こもごも至り、切々として日夜其小巣の為に歌へり。女となりては父の為にし、妻となりては夫の為にし、母となりては子の為にして、自から犠牲たるに甘んじ、女子少小にして、すでに自己を棄つることを知る。其一生を挙げて自主の人たらず、却つて他に隷従奉仕せり。男子の配偶となり、其の在るによりて夫を補佐するを得ば側に侍し、其の事に妨ぐることあらば屏後に退く。青春の男子の少艾を慕ふや、女も亦た報ずるに熱切の愛を以てすと雖、もし女子の故に男子の其義務を忽にするが如きことあらんか、女子の自から其美貌を損して以て男子の愛を失はんことを欲したるの逸事尠からず。武士の女子が理想の妻たる吾妻は、仇し男の慕ふ所となり、我愛を獲んが為に良人の命を殆くせられんとするや、自から亦た不義に与するに託し、闇夜ひそかに良人に代り、而して熱情ある刺客の刃は、其堅貞なる首に下りたり。
現代語訳
彼女は強さと柔和さ、剛毅さと悲しみの声を代わる代わる響かせ、切々と日夜その小さな巣のために歌いました。娘であっては父のため、妻となっては夫のため、母となっては子のために自ら犠牲となることに甘んじ、女性は幼いころからすでに自分を捨てることを知っていました。その一生を通じて自分が主人である人にはならず、かえって他人に従い仕えました。男子の配偶者となり、そこにいることで夫を助けられるなら傍らに侍し、仕事の妨げになるなら屏風の後ろへ退きました。青春の男子が若い女性を慕えば、女性もまた熱烈な愛で応えますが、もし女性のために男子がその義務をおろそかにするようなことがあれば、女性が自ら容貌を損なって男子の愛を失おうとしたという逸話も少なくありません。武士の女性の理想の妻である吾妻は、別の男に慕われ、自分の愛を得るために夫の命が危うくされようとしたとき、自らも不義に加わるふりをして、闇夜にひそかに夫の身代わりとなり、熱情ある刺客の刃はその堅く貞節な首に落ちました。
解説

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呂氏春秋・仲秋③是の月や、乃ち宰祝に命じて、犠牲を巡行せしむ。全具を視、芻豢を案じ、肥瘠を瞻、物色を察し、必ず比類して、大小を量り、長短を視、皆度に中らしむ。五つの者備に當りて、上帝其れ享く。天子乃ち儺して、佐疾を禦ぎ、以て秋氣を通ず。犬を以て麻を嘗め、先づ寢廟を祭る。
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『墨子』大取指を斷つと腕を斷つと、天下を利すること相い若くんば、擇ぶこと無きなり。死と生と利、若ければ、一に擇ぶこと無し。一人を殺して以て天下を存するは、一人を殺して以て天下を利するに非ざるなり。已を殺して以て天下を存するは、是れ己を殺して以て天下を利するなり。事為の中に於いて輕重を權る、之を求と謂う。求は之を為すも非なり。害の中に小を取り、義を為さんことを求むるは、義を為すに非ざるなり。暴人の為に天の是を為すを語らんや。而して性、暴人の為にせば、天の非を為すを歌うなり。諸そ陳執、既に為す所有りて、我れ之を為さば、陳執の執る所の為す所は、吾が為す所に因るなり。若し陳執、未だ為す所有らずして、我れ之を陳執に為さば、陳執は吾が為す所に因るなり。暴人、我が為に、天の人を以てするを為すは、是を為すに非ざるなり。而して性、正す可からずして之を正す。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・犠牲の精神は男女を問わず読者、請ふ予を難ずるに、僻見以て意志の屈従を是認するものなりとする勿らんことを。予も亦た大いに、識見該博、思想深遠なるヘーゲルが、歴史とは自由の発展なり、実現なりと論断せるに推服す。然るに予のここに闡明せざるべからざるは、犠牲の精神の普く武士道の教訓に浸潤して、ただに女子のみならず、男子も亦た之を欠くべからざるものなりしこと、是れなり。故に武士道の感化の全く其跡を絶つの日に至らずんば、我社会は、彼の米国女権の代表者の猛然として、『日本の女よ、起てよ、旧慣に反抗せよ』と叫破せるの言に雷同すること能はざるべし。其反抗は果して奏効すべきか。婦人の地位は此れによつて進善すべきか。この暴挙を以て獲たる権利は、以て女子の伝宝たる温順の性格、優雅の態度の喪失を償ふに足れりや。
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