武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・いざ入りてまし山の端の月
然るに之に反し貞潔は士分の婦人の主德にして、之を重んずること其生命にも勝れり。曾て妙齡の一女子あり、敵手に捕へられ、將にむくつけき荒男の手籠に會はんとするや、女云ひけるやう、此上は力無し、唯だ此度の負戰に離散したる母や姉のいかばかりか案じ煩ふべきに、唯だ一筆の便りするを許されんには、甘んじて其意に從ふべしと欺き、思ひのたけを書認めたる後、敵の虛隙を覗ひ、側なる井戶に投じて、其貞操を全うしたりと傳ふ。其文の端に一首の歌あり、世にへなばよしなき雲もおほひなん、いざ入りてまし山の端の月。されば日本武士道の女性に對する最高の理想は單に男性的なるものなりし乎。否、大いに然ちず、藝能の類、優雅の素養の如きは、最も女子に要する所にして、又た音樂、舞踏、文學の如きも之を忽せにせざりき。
新字:然るに之に反し貞潔は士分の婦人の主徳にして、之を重んずること其生命にも勝れり。曽て妙齢の一女子あり、敵手に捕へられ、将にむくつけき荒男の手籠に会はんとするや、女云ひけるやう、此上は力無し、唯だ此度の負戦に離散したる母や姉のいかばかりか案じ煩ふべきに、唯だ一筆の便りするを許されんには、甘んじて其意に従ふべしと欺き、思ひのたけを書認めたる後、敵の虚隙を覗ひ、側なる井戸に投じて、其貞操を全うしたりと伝ふ。其文の端に一首の歌あり、世にへなばよしなき雲もおほひなん、いざ入りてまし山の端の月。されば日本武士道の女性に対する最高の理想は単に男性的なるものなりし乎。否、大いに然ちず、芸能の類、優雅の素養の如きは、最も女子に要する所にして、又た音楽、舞踏、文学の如きも之を忽せにせざりき。
書き下し
然るに之に反し、貞潔は士分の婦人の主徳にして、之を重んずること其生命にも勝れり。かつて妙齢の一女子あり、敵手に捕へられ、将にむくつけき荒男の手籠に会はんとするや、女、云ひけるやう、此上は力無し、ただ此度の負戦に離散したる母や姉の、いかばかりか案じ煩ふべきに、ただ一筆の便りするを許されんには、甘んじて其意に従ふべし、と欺き、思ひのたけを書き認めたる後、敵の虚隙を窺ひ、側なる井戸に投じて其貞操を全うしたりと伝ふ。其文の端に一首の歌あり。『世にへなば、よしなき雲もおほひなん、いざ入りてまし山の端の月』。されば日本武士道の女性に対する最高の理想は、単に男性的なるものなりしか。否、大いに然らず、芸能の類、優雅の素養の如きは最も女子に要する所にして、又た音楽、舞踏、文学の如きも之を忽せにせざりき。
現代語訳
しかしこれに反して、貞潔は武士身分の婦人の主たる徳であり、これを重んじることは命にも勝るものでした。かつてある若い女性が敵に捕らえられ、まさに荒々しい男に手ごめにされようとしたとき、女はこう言いました。もはやどうしようもありません。ただこのたびの負け戦で散り散りになった母や姉が、どれほど案じているでしょう。ただ一筆便りをすることを許してくださるなら、甘んじてご意向に従いましょう、と欺き、思いの丈を書き記した後、敵の隙をうかがって傍らの井戸に身を投げ、貞操を全うしたと伝えられます。その文の端に一首の歌がありました。この世に生き長らえたなら、つまらない雲も覆うだろう。さあ入ってしまおう、山の端の月よ。日本武士道の女性に対する最高の理想は、単に男性的なものだったのでしょうか。いいえ、大いにそうではありません。芸能の類や優雅な素養は最も女子に必要とされ、また音楽や舞踊や文学もおろそかにされませんでした。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
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