武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・膝を縛して坐容を乱さず
日本のヴアジニンならん乎、其貞德の危殆に瀕する、必ずや嚴父の刄を待つこと無く、其劍は常に藏めて懷に在りたり。自害の作法を知らざるは女子の耻づる所なりさん。解剖學にこそ暗けれ、女子は正に咽喉の何處を刺すべきものなるかを知らざるべからず。死の苦痛は劇甚なりとも、死屍の坐容を亂して、謹愼を破ること無からんが爲、先づ帶紐を以て其膝を縛することを忘るべからず。盖し其(非)覺倍は基督教徒の殉数婦人バーベチユアの如く又た羅馬(株)ヴエス々富殿の重貞コルネリアにも比すべきに非らずや。予の率爾として此問を發する所以のものは、外人の往々我國の入浴其他瑣些たる慣習を見て、日本女子は貞潔を知らずと評するあるを以てなり。
新字:日本のヴアジニンならん乎、其貞徳の危殆に瀕する、必ずや厳父の刄を待つこと無く、其剣は常に蔵めて懐に在りたり。自害の作法を知らざるは女子の耻づる所なりさん。解剖学にこそ暗けれ、女子は正に咽喉の何処を刺すべきものなるかを知らざるべからず。死の苦痛は劇甚なりとも、死屍の坐容を乱して、謹慎を破ること無からんが為、先づ帯紐を以て其膝を縛することを忘るべからず。盖し其(非)覚倍は基督教徒の殉数婦人バーベチユアの如く又た羅馬(株)ヴエス々富殿の重貞コルネリアにも比すべきに非らずや。予の率爾として此問を発する所以のものは、外人の往々我国の入浴其他瑣些たる慣習を見て、日本女子は貞潔を知らずと評するあるを以てなり。
書き下し
日本のヴァージニアならんか、其貞徳の危殆に瀕する、必ずや厳父の刃を待つこと無く、其剣は常に蔵めて懐に在りたり。自害の作法を知らざるは、女子の恥づる所なりき。解剖学にこそ暗けれ、女子は正に咽喉の何処を刺すべきものなるかを知らざるべからず。死の苦痛は劇甚なりとも、死屍の坐容を乱して謹慎を破ること無からんが為、先づ帯紐を以て其膝を縛することを忘るべからず。けだし其覚悟は、基督教徒の殉教婦人ペルペトゥアの如く、又た羅馬ヴェスタ神殿の重貞コルネリアにも比すべきに非らずや。予の率爾として此問を発する所以のものは、外人の往々我国の入浴其他瑣些たる慣習を見て、日本女子は貞潔を知らずと評するあるを以てなり。
現代語訳
日本のウェルギニアであれば、その貞節が危うくなるとき、必ずしも厳しい父の刃を待たず、その剣は常に懐に納めてありました。自害の作法を知らないことは女子の恥とするところでした。解剖学には暗くても、女子は喉のどこを刺すべきかを知っていなければなりません。死の苦痛がどれほど激しくても、死後の姿勢を乱して慎みを破ることのないよう、まず帯紐で膝を縛ることを忘れてはなりません。思うにその覚悟は、キリスト教の殉教者ペルペトゥアのようであり、またローマのウェスタ神殿の貞女コルネリアにも比べられるのではないでしょうか。私が軽々しくこの問いを発する理由は、外国人がしばしばわが国の入浴その他の些細な習慣を見て、日本の女性は貞潔を知らないと評することがあるからです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・笄するに及びて懐剣を授く婦人は剣術等の武芸を実用すること稀なりしかど、なお彼等をして端坐の習慣にのみ陥ること無からしめ、其健康に補ふ所ありたり。されど武芸の修練たる、単に衛生を旨とするものに非らず、事あるに臨んでは此れが用を為すことありき。女児の長じて既に笄するに及びてや、父母之に授くるに懐剣を以てす。以て或は敵人の胸を刺すことあるべく、或は以て己れが胸を貫くことあるべし。女子の自から刃に伏したるすこぶる多し。されど吾人は彼等を俟つに酷評を以てせざらん。基督教徒の良心は自殺を憎悪す。されどなおペラギアおよびドミニナ二女子の自殺者を崇め、聖者となして其純潔貞操の徳を頌するを見れば、彼等の我が自刃の女子を目すること、恐らくは刻薄に失するものある勿からんか。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・母なるの故を以て跪くこれ即ち彼等がマトローナたり、母たりしが故に非ずや。戦士たり、立法家たるが故に非ず、ただ其母なるの故を以て、羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて戦場に臨み、列伍に在るや、斉家保育の務は挙げて母妻の掌中に帰し、幼者の教育はもとより、彼等を衛護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武芸の如きも、要するに其児子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。一知半解の外人往々膚浅の観察を下し、日本人の概ね其妻を称するに『愛妻』『愚妻』等の語を以てするは、即ち女子を軽侮し、毫も之を尊重すること無きを証するものなりと云ふあり。ただ此輩に告げて曰へ、吾人は又た常に『愚父』『豚児』『拙者』等の語を用ふと。他また何ぞ弁を加ふることを須ひんや。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・薙刀を学ぶ理由武士道も亦たレッキーの説くが如く、『女性の脆弱を脱離して、至勇至強の男子に適せる剛毅勇邁の性格を発揮したるもの』を賞揚したり。是を以て女子は年なお少うして、感情を抑制し、神経を強固ならしむることを習ひ、又た不慮の事変に処して其身を捍らんが為に、薙刀を用ふるの法を学びたり。然りと雖、女子の武芸に志す所以は、必ずや戦場の勇婦たらんことを期するが為に非らずして、其主旨たる、自己と家庭との二途に於て之を用ひんが為なりき。女子は仕ふべき君主を有せず、従つて又た自から己れを守衛するの要あり。女子の武器に頼りて其貞潔を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり。又た女子の武芸は、之を其家庭に用ひて、其子女を教育するの益をなしたるものなり。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・いざ入りてまし山の端の月然るに之に反し、貞潔は士分の婦人の主徳にして、之を重んずること其生命にも勝れり。かつて妙齢の一女子あり、敵手に捕へられ、将にむくつけき荒男の手籠に会はんとするや、女、云ひけるやう、此上は力無し、ただ此度の負戦に離散したる母や姉の、いかばかりか案じ煩ふべきに、ただ一筆の便りするを許されんには、甘んじて其意に従ふべし、と欺き、思ひのたけを書き認めたる後、敵の虚隙を窺ひ、側なる井戸に投じて其貞操を全うしたりと伝ふ。其文の端に一首の歌あり。『世にへなば、よしなき雲もおほひなん、いざ入りてまし山の端の月』。されば日本武士道の女性に対する最高の理想は、単に男性的なるものなりしか。否、大いに然らず、芸能の類、優雅の素養の如きは最も女子に要する所にして、又た音楽、舞踏、文学の如きも之を忽せにせざりき。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・女となりては父の為にし彼は勁健、柔和、剛壮、悲惻の声こもごも至り、切々として日夜其小巣の為に歌へり。女となりては父の為にし、妻となりては夫の為にし、母となりては子の為にして、自から犠牲たるに甘んじ、女子少小にして、すでに自己を棄つることを知る。其一生を挙げて自主の人たらず、却つて他に隷従奉仕せり。男子の配偶となり、其の在るによりて夫を補佐するを得ば側に侍し、其の事に妨ぐることあらば屏後に退く。青春の男子の少艾を慕ふや、女も亦た報ずるに熱切の愛を以てすと雖、もし女子の故に男子の其義務を忽にするが如きことあらんか、女子の自から其美貌を損して以て男子の愛を失はんことを欲したるの逸事尠からず。武士の女子が理想の妻たる吾妻は、仇し男の慕ふ所となり、我愛を獲んが為に良人の命を殆くせられんとするや、自から亦た不義に与するに託し、闇夜ひそかに良人に代り、而して熱情ある刺客の刃は、其堅貞なる首に下りたり。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・変革は反抗を俟たずして来る羅馬人の母が奉家の徳を失つてより、其国道徳の頽廃、言語に絶するに至りたるに非らずや。彼の米国改革家は、吾人に示すに、果して日本女子の反抗は即ち其由るべき歴史的発達の正路なるを以てするを得べきか。此等は看過すべからざる大問題なり。抑も変革は反抗を俟たずして来るべく、又た来らずんばあるべからず。而して武士道制度の下に於ける婦人の地位の低卑なる、実に反抗を要するものなりしか。吾人は今しばらくここに之を見るあらんとす。欧洲武士の『神と淑女』に奉ずるに、面従的尊敬を以てしたるを聞くや久し。されど此二語の氷炭相容れざるは、ギボンの赧顔する所にして、又たハラムは、シヴァリーの道徳は鄙陋なり、女子に対する慇懃は不義の愛を含みたりと歎ぜり。