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武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・笄するに及びて懐剣を授く

婦人は劍術等の武藝を實用すること稀なりしかど、猶ほ彼等をして端坐の習慣にのみ陷ること無からしめ、其健康に補ふ所ありたり。されど武藝の修練たる單に衞生を旨とするものに非らず、事あるに臨んでは、此れが用を爲すことありき。女兒の長じて旣に笄するに及びてや、父母之に授くるに懷劍を以てす。以て或は敵人の胸を刺すことあるべく、或は以て己れが胸を貫くことあるべし。女子の自から刄に伏したる頗る多し、されど吾人は彼等を俟つに酷評を以てせざらん。基督教徒の良心は、自殺を憎惡す、されど尙ほベラジア及びドミニア二女子の自殺者を崇め、聖者となして其純潔貞操の德を頌するを見れば、彼等の我が自刄の女子を目すること恐くは刻薄に失するものある勿か(株)らん乎。

新字:婦人は剣術等の武芸を実用すること稀なりしかど、猶ほ彼等をして端坐の習慣にのみ陥ること無からしめ、其健康に補ふ所ありたり。されど武芸の修練たる単に衛生を旨とするものに非らず、事あるに臨んでは、此れが用を為すことありき。女児の長じて旣に笄するに及びてや、父母之に授くるに懐剣を以てす。以て或は敵人の胸を刺すことあるべく、或は以て己れが胸を貫くことあるべし。女子の自から刄に伏したる頗る多し、されど吾人は彼等を俟つに酷評を以てせざらん。基督教徒の良心は、自殺を憎悪す、されど尚ほベラジア及びドミニア二女子の自殺者を崇め、聖者となして其純潔貞操の徳を頌するを見れば、彼等の我が自刄の女子を目すること恐くは刻薄に失するものある勿か(株)らん乎。

書き下し

婦人は剣術等の武芸を実用すること稀なりしかど、なお彼等をして端坐の習慣にのみ陥ること無からしめ、其健康に補ふ所ありたり。されど武芸の修練たる、単に衛生を旨とするものに非らず、事あるに臨んでは此れが用を為すことありき。女児の長じて既に笄するに及びてや、父母之に授くるに懐剣を以てす。以て或は敵人の胸を刺すことあるべく、或は以て己れが胸を貫くことあるべし。女子の自から刃に伏したるすこぶる多し。されど吾人は彼等を俟つに酷評を以てせざらん。基督教徒の良心は自殺を憎悪す。されどなおペラギアおよびドミニナ二女子の自殺者を崇め、聖者となして其純潔貞操の徳を頌するを見れば、彼等の我が自刃の女子を目すること、恐らくは刻薄に失するものある勿からんか。

現代語訳

婦人が剣術などの武芸を実際に用いることは稀でしたが、それでも彼女たちが座ってばかりの習慣に陥らないようにし、健康に役立つところがありました。しかし武芸の修練は単に衛生を目的とするものではなく、事が起これば役に立つこともありました。女児が成長して髪上げの年齢になると、父母は懐剣を授けます。それによって敵の胸を刺すこともあれば、自分の胸を貫くこともあります。女性が自ら刃に伏した例はかなり多い。しかし私たちは彼女たちに酷評を加えないでおきましょう。キリスト教徒の良心は自殺を憎みます。しかしなおペラギアとドミニナという二人の自殺した女性を崇め、聖者としてその純潔と貞操の徳を讃えるのを見れば、彼らがわが国の自ら刃に伏した女性を見る目は、おそらく厳しすぎるのではないでしょうか。

解説

成人した娘に懐剣が授けられる。敵を刺すためでもあり、自分を刺すためでもある、という両義が明記されます。そして自死した女性への評価をめぐって、キリスト教が聖女として崇めるペラギアらを引き合いに出します。自分たちの基準では聖女とし、他国のそれは野蛮とするのは公平でない、という指摘です。この本が繰り返す、同じ行為への二重の物差しへの異議です。

この章句が説くこと

懐剣自死貞操二重基準比較

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