武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・薙刀を学ぶ理由
武士道も亦たレツキーの說くが如く、『女性の脆弱を脫離して、至勇至强の男子に適せる剛毅勇邁の性格を發揮したるもの』を賞揚したり。是を以て女子は年尙ほ少うして、感情を抑制し、神經を强固ならしむることを習ひ、又た不慮の事變に處して其身を捍らんが爲に薙刀を用ふるの法を學びたり。然りと雖、女子の武藝に志す所以は、必ずや戰塲の勇婦たらんことを期するが爲に非らずして、其主旨たる、自己と家庭との二途に於て、之を用ひんが爲なりき。女子は仕ふべき君主を有せず、從つて又た自から己れを守衞するの要あり。女子の武器に賴りて、其貞潔を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり。又た女子の武藝は、之を其家庭に用ひて、其子女を教育するの益をなしたるものなり。
新字:武士道も亦たレツキーの説くが如く、『女性の脆弱を脫離して、至勇至强の男子に適せる剛毅勇邁の性格を発揮したるもの』を賞揚したり。是を以て女子は年尚ほ少うして、感情を抑制し、神経を强固ならしむることを習ひ、又た不慮の事変に処して其身を捍らんが為に薙刀を用ふるの法を学びたり。然りと雖、女子の武芸に志す所以は、必ずや戦塲の勇婦たらんことを期するが為に非らずして、其主旨たる、自己と家庭との二途に於て、之を用ひんが為なりき。女子は仕ふべき君主を有せず、従つて又た自から己れを守衛するの要あり。女子の武器に頼りて、其貞潔を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり。又た女子の武芸は、之を其家庭に用ひて、其子女を教育するの益をなしたるものなり。
書き下し
武士道も亦たレッキーの説くが如く、『女性の脆弱を脱離して、至勇至強の男子に適せる剛毅勇邁の性格を発揮したるもの』を賞揚したり。是を以て女子は年なお少うして、感情を抑制し、神経を強固ならしむることを習ひ、又た不慮の事変に処して其身を捍らんが為に、薙刀を用ふるの法を学びたり。然りと雖、女子の武芸に志す所以は、必ずや戦場の勇婦たらんことを期するが為に非らずして、其主旨たる、自己と家庭との二途に於て之を用ひんが為なりき。女子は仕ふべき君主を有せず、従つて又た自から己れを守衛するの要あり。女子の武器に頼りて其貞潔を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり。又た女子の武芸は、之を其家庭に用ひて、其子女を教育するの益をなしたるものなり。
現代語訳
武士道もまたレッキーが説くように、女性の弱さを脱して、最も勇敢で強い男子にふさわしい剛毅で勇ましい性格を発揮したものを称賛しました。ですから女子は年が若いうちから、感情を抑え神経を強くすることを習い、また不意の事変に対して身を守るために薙刀を用いる法を学びました。とはいえ、女子が武芸を志す理由は、必ずしも戦場の勇婦になることを期したのではなく、その趣旨は自分自身と家庭という二つの方面でこれを用いるためでした。女子には仕えるべき主君がなく、したがって自分で自分を守る必要があります。女子が武器に頼ってその貞潔を守るのに切実なのは、男子が主君を守るのに似ています。また女子の武芸は、それを家庭で用いて子女を教育する益をなすものでした。
解説
この章句が説くこと
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