武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・妙の字は女と少より成る
製面を示べカラリウテ人類の半數を成せる女性は、逆の典型にして其心理の直覺作用は、男性の所謂數的理解力を以て、曉解するに苦しむものなりと稱す。漢字にて不可思議、不可解等を意義する『妙』の一字の、『女』と『少』との二より成れるは、女子の嬌冶たる容姿と繊細なる思想との男子の粗雜なる心量の能く解剖する所に非らざるを徵す。然るに武士道の理想とする女性は、毫も不可思議にも非らず、妙にも非らず、又た其逆說の觀は、單に皮相に止まるのみ。予は武士道の女性を稱してアマゾニアンなりと云ひ婦人の教育と地位たるも、是れ唯だ眞理の半片を捉へたるに過ぎず。漢字の『婦』とは、解して持箒の女と云ふ。されど其箒を揮つて結婚同盟者に反抗し、攻守の態度を執るものにも非らず、又た之に駕翔して魔術を行ふのマザー、グースたるものにも非らず、唯だ箒本來の使途に於て之を無害の用に充つるのみ。
新字:製面を示べカラリウテ人類の半数を成せる女性は、逆の典型にして其心理の直覚作用は、男性の所謂数的理解力を以て、暁解するに苦しむものなりと称す。漢字にて不可思議、不可解等を意義する『妙』の一字の、『女』と『少』との二より成れるは、女子の嬌冶たる容姿と繊細なる思想との男子の粗雑なる心量の能く解剖する所に非らざるを徴す。然るに武士道の理想とする女性は、毫も不可思議にも非らず、妙にも非らず、又た其逆説の観は、単に皮相に止まるのみ。予は武士道の女性を称してアマゾニアンなりと云ひ婦人の教育と地位たるも、是れ唯だ真理の半片を捉へたるに過ぎず。漢字の『婦』とは、解して持箒の女と云ふ。されど其箒を揮つて結婚同盟者に反抗し、攻守の態度を執るものにも非らず、又た之に駕翔して魔術を行ふのマザー、グースたるものにも非らず、唯だ箒本来の使途に於て之を無害の用に充つるのみ。
書き下し
人類の半数を成せる女性は、逆の典型にして、其心理の直覚作用は、男性の所謂数的理解力を以て暁解するに苦しむものなりと称す。漢字にて不可思議、不可解等を意義する『妙』の一字の、『女』と『少』との二より成れるは、女子の嬌冶たる容姿と繊細なる思想との、男子の粗雑なる心量の能く解剖する所に非らざるを徴す。然るに武士道の理想とする女性は、毫も不可思議にも非らず、妙にも非らず、又た其逆説の観は、単に皮相に止まるのみ。予は武士道の女性を称してアマゾニアンなりと云ひたるも、是れただ真理の半片を捉へたるに過ぎず。漢字の『婦』とは、解して持箒の女と云ふ。されど其箒を揮つて結婚同盟者に反抗し、攻守の態度を執るものにも非らず、又た之に駕翔して魔術を行ふのマザー・グースたるものにも非らず、ただ箒本来の使途に於て、之を無害の用に充つるのみ。
現代語訳
人類の半分を成す女性は逆の典型であり、その心理の直観の働きは、男性のいわゆる数的な理解力では理解に苦しむものだと言われます。漢字で不可思議や不可解を意味する妙という字が、女と少の二つから成っているのは、女性の艶やかな姿と繊細な思想が、男性の粗雑な心の量りでは解剖できないことを示しています。しかし武士道が理想とする女性は、少しも不可思議でも妙でもなく、またその逆説めいた見方は表面にとどまるだけです。私が武士道の女性をアマゾンのようだと言ったのも、真理の半分をとらえたにすぎません。漢字の婦という字は、箒を持つ女と解します。しかしその箒を振るって結婚の相手に反抗し、攻守の構えを取るのでもなく、またそれにまたがって魔術を行うマザーグースでもなく、ただ箒を本来の使い道で無害に用いるだけです。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・家庭的と勇婦的の二特色婦の思想は、英語にてワイフ、すなはち織女の義、及びドーター、すなはち酪婦の字義の有する所に等しく、共に家庭的なり。又た独逸皇帝の如くに、単に婦人活動の範囲を以て、厨房、教会及び小児の三Kに限るものに非らずと雖、武士道の理想的婦人は、要するに家庭的なるものなりき。其の家庭的なると、勇婦的なるとの武士道女性の二特色は、一見矛盾するの状ありて、而して武士道の教訓よりすれば、此の二者、決して両立せざるものに非らざりき。武士道は元、男子の為に設けたる教訓なり。故に其の女子に要するの諸徳の、おのづから女徳に遠きものあり。ウィンケルマンは、希臘芸術の極美は女性的なるよりも寧ろ男性的なりと云ひ、レッキーは之に和して、希臘人の道徳観念に於て見るも、其美術に於けると等しきものありたりと云ふ。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・武士道は両本位なり男女の両性は各々此世に享けたる天職を完うせんが為に、要する資格の甚だ多きを以て見れば、彼等相互の地位を量るの標準は、必ずや複雑なる性質を帯びざるべからず。経済学上の用語を借りて云はば、即ち複本位ならざるべからず。武士道は其本位を有す、而して両本位なり。女子の価値を計るに、一は戦場に於てし、一は炉辺に於てす。而して彼に於ては殆ど無なるも、此れに於ては全し。女子を遇するの途は、此二種の権度に応ずるに在りて、即ち社会上政治上の単位としては多く称するに足らずと雖も、妻とし、母としては至重の尊尚、至深の愛護を受けたり。試みに思へ、羅馬人の如き武断なる国民の間に於けるも、其婦人は多大の尊敬を享けたることを。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・薙刀を学ぶ理由武士道も亦たレッキーの説くが如く、『女性の脆弱を脱離して、至勇至強の男子に適せる剛毅勇邁の性格を発揮したるもの』を賞揚したり。是を以て女子は年なお少うして、感情を抑制し、神経を強固ならしむることを習ひ、又た不慮の事変に処して其身を捍らんが為に、薙刀を用ふるの法を学びたり。然りと雖、女子の武芸に志す所以は、必ずや戦場の勇婦たらんことを期するが為に非らずして、其主旨たる、自己と家庭との二途に於て之を用ひんが為なりき。女子は仕ふべき君主を有せず、従つて又た自から己れを守衛するの要あり。女子の武器に頼りて其貞潔を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり。又た女子の武芸は、之を其家庭に用ひて、其子女を教育するの益をなしたるものなり。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・女となりては父の為にし彼は勁健、柔和、剛壮、悲惻の声こもごも至り、切々として日夜其小巣の為に歌へり。女となりては父の為にし、妻となりては夫の為にし、母となりては子の為にして、自から犠牲たるに甘んじ、女子少小にして、すでに自己を棄つることを知る。其一生を挙げて自主の人たらず、却つて他に隷従奉仕せり。男子の配偶となり、其の在るによりて夫を補佐するを得ば側に侍し、其の事に妨ぐることあらば屏後に退く。青春の男子の少艾を慕ふや、女も亦た報ずるに熱切の愛を以てすと雖、もし女子の故に男子の其義務を忽にするが如きことあらんか、女子の自から其美貌を損して以て男子の愛を失はんことを欲したるの逸事尠からず。武士の女子が理想の妻たる吾妻は、仇し男の慕ふ所となり、我愛を獲んが為に良人の命を殆くせられんとするや、自から亦た不義に与するに託し、闇夜ひそかに良人に代り、而して熱情ある刺客の刃は、其堅貞なる首に下りたり。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・母なるの故を以て跪くこれ即ち彼等がマトローナたり、母たりしが故に非ずや。戦士たり、立法家たるが故に非ず、ただ其母なるの故を以て、羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて戦場に臨み、列伍に在るや、斉家保育の務は挙げて母妻の掌中に帰し、幼者の教育はもとより、彼等を衛護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武芸の如きも、要するに其児子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。一知半解の外人往々膚浅の観察を下し、日本人の概ね其妻を称するに『愛妻』『愚妻』等の語を以てするは、即ち女子を軽侮し、毫も之を尊重すること無きを証するものなりと云ふあり。ただ此輩に告げて曰へ、吾人は又た常に『愚父』『豚児』『拙者』等の語を用ふと。他また何ぞ弁を加ふることを須ひんや。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・変革は反抗を俟たずして来る羅馬人の母が奉家の徳を失つてより、其国道徳の頽廃、言語に絶するに至りたるに非らずや。彼の米国改革家は、吾人に示すに、果して日本女子の反抗は即ち其由るべき歴史的発達の正路なるを以てするを得べきか。此等は看過すべからざる大問題なり。抑も変革は反抗を俟たずして来るべく、又た来らずんばあるべからず。而して武士道制度の下に於ける婦人の地位の低卑なる、実に反抗を要するものなりしか。吾人は今しばらくここに之を見るあらんとす。欧洲武士の『神と淑女』に奉ずるに、面従的尊敬を以てしたるを聞くや久し。されど此二語の氷炭相容れざるは、ギボンの赧顔する所にして、又たハラムは、シヴァリーの道徳は鄙陋なり、女子に対する慇懃は不義の愛を含みたりと歎ぜり。