武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・切腹と敵討は理由を喪失した
されど復讐は長者又た恩人の仇を報ずるに於てのみ正しとすべく、而して自から蒙りたる害惡の如き、又たは妻子の受けたる危害の如きは、須らく之を容忍すべきものなりき。故に我が武士は祖國の怨を報ぜんことを神明に誓ひたるハンニバルに寄するに滿腔の同情を以てすと雖、彼のジエームス、ハミルトンが、妻女の墓側より一杯の砂粒を取りて紳に佩び、日夜、攝政ムレーに對し、我妻の怨を報ずるの念を刺衝したるに與せず。シイソン、デ切腹及び敵討の二法度は、刑法の發布と共に其在の理由を喪失したり。されば今や既に美しの處女が身を窶して、父の敵を尋ぬる小說的冐險を耳にすること無く、又た家族の復仇の悲劇を見ること無きに至れり。宮本武藏の武者修行は、今や唯だ一條の昔語と過ぎて、規律森嚴なる警吏は、被害者の爲に犯罪人を追跡し、法律は義を行ひ非を正し、全國、全社會は、以て災害の應報違ふこと無きを認む。
新字:されど復讐は長者又た恩人の仇を報ずるに於てのみ正しとすべく、而して自から蒙りたる害悪の如き、又たは妻子の受けたる危害の如きは、須らく之を容忍すべきものなりき。故に我が武士は祖国の怨を報ぜんことを神明に誓ひたるハンニバルに寄するに満腔の同情を以てすと雖、彼のジエームス、ハミルトンが、妻女の墓側より一杯の砂粒を取りて紳に佩び、日夜、摂政ムレーに対し、我妻の怨を報ずるの念を刺衝したるに与せず。シイソン、デ切腹及び敵討の二法度は、刑法の発布と共に其在の理由を喪失したり。されば今や既に美しの処女が身を窶して、父の敵を尋ぬる小説的冐険を耳にすること無く、又た家族の復仇の悲劇を見ること無きに至れり。宮本武蔵の武者修行は、今や唯だ一条の昔語と過ぎて、規律森厳なる警吏は、被害者の為に犯罪人を追跡し、法律は義を行ひ非を正し、全国、全社会は、以て災害の応報違ふこと無きを認む。
書き下し
されど復讐は、長者又た恩人の仇を報ずるに於てのみ正しとすべく、而して自から蒙りたる害悪の如き、又たは妻子の受けたる危害の如きは、すべからく之を容忍すべきものなりき。故に我が武士は、祖国の怨を報ぜんことを神明に誓ひたるハンニバルに寄するに満腔の同情を以てすと雖、彼のジェームス・ハミルトンが、妻女の墓側より一杯の砂粒を取りて紳に佩び、日夜、摂政マレーに対し我妻の怨を報ずるの念を刺衝したるに与せず。切腹及び敵討の二法度は、刑法の発布と共に其存在の理由を喪失したり。されば今や既に、美しき処女が身をやつして父の敵を尋ぬる小説的冒険を耳にすること無く、又た家族の復仇の悲劇を見ること無きに至れり。宮本武蔵の武者修行は、今やただ一条の昔語と過ぎて、規律森厳なる警吏は、被害者の為に犯罪人を追跡し、法律は義を行ひ非を正し、全国、全社会は、以て災害の応報違ふこと無きを認む。
現代語訳
しかし復讐は、目上の人や恩人の仇を報じる場合にのみ正しいとすべきで、自分が受けた害悪や、妻子が受けた危害などは、堪え忍ぶべきものでした。ですからわが武士は、祖国の怨みを報じることを神に誓ったハンニバルには心からの同情を寄せますが、あのジェームズ・ハミルトンが妻の墓のそばから一杯の砂を取って帯に佩び、日夜、摂政マレーに対して妻の怨みを報じる思いを掻き立てたことには与しません。切腹と敵討の二つの法は、刑法の発布とともにその存在の理由を失いました。ですから今ではもう、美しい乙女が身をやつして父の敵を尋ねるという小説的な冒険を耳にすることもなく、家族の復讐の悲劇を見ることもなくなりました。宮本武蔵の武者修行は今やただ一筋の昔話となり、規律の厳しい警察官が被害者のために犯罪人を追跡し、法律が義を行い非を正し、全国と全社会が、災いへの報いに違いがないことを認めています。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・数項の刑法明文が根絶せしめたそれ正義の観念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神学者の評するが如くに、敵討のもし果して『犠牲の生血に渇し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、わずかに数項の刑法明文の、直ちに之を根絶せしめたる事、いづくんぞ能く今日の如くなるを得んや。切腹も亦た法度上、既に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人はなお往々、敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の継続せん限り、これを耳にすることあるべし。自殺宗信者の数は、世界中懼るべき速力を以て増加しつつあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるるに至らん。されど自殺論の著者モルセリ教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・敵討もまた美点ありや世には基督教と異教徒との間に、一大障壁を築くに鋭意するものありと雖、いかんせん、此等の訓語は、宇内人類の凡て道徳的一致の点を有するものなることを例証すべき、九牛の一毛に非らずや。吾人は既に、切腹てふ武士道制度の、之を一見すれば或は其妄なるに驚くことあるべしと雖、其実決して悖理蛮野の弊習に非らざるを知れり。吾人は今ここに、切腹と姉妹の制度たる敵討、即ち復讐も亦た之に美点あり、特長あるや否やを観察せんとす。然るに此れと斉しき制度もしくは習慣は、時代の異同こそあれ、凡ての民族間に行はれたるものにして、今日と雖、未だ全く廃弛せず。決闘、私刑の形を以て欧米の国にすら、なお存続するものなるを以て、此問題の如きは、予はわずかに数語を以て之を解明するを得べきものなるが如し。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・父の仇を報ずるは最も美しき近く米国の一将校にして、ドレフュスの仇を報ぜんが為、エステルハージーに決闘を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、姦淫は罪を構成せず、ただ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、ただ被害者の縁戚が、戒心以て讐を復することの、能く社会の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる、是れなり』と。而して日本人は之に加ふるに、必ずや『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。復讐は、之によりて自己が正義の念を満足せしむるものなり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・倶に天を戴かざるの仇復讐者の理由とする所は曰く、『我父は善人なり、非命に斃るべき者に非らず。然るに我仇は、我父を殺すの大虐を行へり。我父もし在らんには、必ずや此暴虐を看過せざるべし。昊天は悪徳を憎む。悪人を亡ぼすは我父の欲する所にして、又た天意なり。我仇は我手に死すべし。彼は我父の血を流したるが故に、父の血肉たる我は、亦た敵人の血を流さざるべからず。彼は倶に天を戴かざるの仇なり』と。此推論は簡単幼稚なり。されど此れ又た、精密なる衡平と均等なる正義との根本観念に基くものなることを示せり。ハムレットと雖、此れより更に深遠なる理由を有せざりしに非らずや。経に曰へり、『目を以て目に償ひ、歯を以て歯に償ふ』と。吾人が復讐の念は、数理の官能の如くに一毫をも疎にせず、方程式の両項数の適合するに非らざるよりは、ついに能事未だ完からずとの念を排する能はざるものなり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・腹を切るは何ぞ其の不合理なる切腹及び敵討の二制度に就いては、幾多海外文士の之を説いて、やや詳なるものあり。切腹、又た割腹、即ち世俗にはらきりと云ふは、其字の示すが如く、腹部を切りて自殺することなり。初めて此語を聞く者の或は叫びて云はん、『腹を切るは、何ぞ其の不合理なる』と。然り、外人の耳朶には、必ず先づ奇怪不合理の感を与ふべしと雖、凡そシェイクスピアを読みたるものならんには、之に由りて甚だしく奇異の感を起さざるべし。彼はブルータスの口に上ぼせて、『汝シーザーの魂魄現はれ、我が剣を逆にして、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時の英国詩宗が『亜細亜の光』に於て、剣を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを読め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ゐるものとなし、又た礼を失するものとなすこと無し。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・切腹は律法並に礼法の制度尋常の処刑に於けるが如く、たとひ肉体の窘迫なかりしにもせよ、法官の命令は正しく窘迫にして、『汝は死すべし――己が手によりて死すべし』と云へるものなり。自殺とは、単に自己の手に依りて死するの謂なりとせば、ソクラテスは明かに自殺を行ひたるものに非らずや。されど世は彼を譴むるに自殺を以てするを欲せず。又た自殺を忌みたるプラトンは、其師を目するに自殺者を以てせざりき。読者は既に、切腹の単に自殺の行為に非ざるを認めたるべし。切腹は律法並に礼法の制度なりき。切腹は中世紀に創まりて、武士が罪を贖ひ、過を謝し、恥を免れ、友に償ひ、又た自家の誠実を表明するの作法なりき。此れを刑罰として人に加ふるには、必らず之に適する荘重なる儀式ありき。