武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・倶に天を戴かざるの仇
復讐者の理由とする所は日く、『我父は善人なり、非命に斃るべき者に非らず。然るに我仇は、我父を殺すの大虐を行へり。我父若し在らんには、必ずや此暴虐を看過せざるべし。昊天は惡德を憎む。惡人を亡ぼすは、我父の欲する所にして、又た天意なり。我仇は我手に死すべし。彼は我父の血を流したるが故に、父の血肉たる我は亦た敵人の血を流さゞるべからず。彼は倶に天を戴かざるの仇なりーと。此推論は簡單幼稚なり、されど此れ又た精密なる衡平と、均等なる正義との根本觀念に基くものなることを示せり。ハムレツトと雖此れより更に深遠なる理由を有せざりしに非らずや。經に曰へり、『目を以て目に償ひ、齒を以て齒に償ふ』と。吾人が復讐の念は、數理の官能の如くに一毫をも疎にせず、方程式の兩項數の適合するに非らざるよりは、竟に能事未だ完からずとの念を排する能はざるものなり。
新字:復讐者の理由とする所は日く、『我父は善人なり、非命に斃るべき者に非らず。然るに我仇は、我父を殺すの大虐を行へり。我父若し在らんには、必ずや此暴虐を看過せざるべし。昊天は悪徳を憎む。悪人を亡ぼすは、我父の欲する所にして、又た天意なり。我仇は我手に死すべし。彼は我父の血を流したるが故に、父の血肉たる我は亦た敵人の血を流さゞるべからず。彼は倶に天を戴かざるの仇なりーと。此推論は簡単幼稚なり、されど此れ又た精密なる衡平と、均等なる正義との根本観念に基くものなることを示せり。ハムレツトと雖此れより更に深遠なる理由を有せざりしに非らずや。経に曰へり、『目を以て目に償ひ、齒を以て齒に償ふ』と。吾人が復讐の念は、数理の官能の如くに一毫をも疎にせず、方程式の両項数の適合するに非らざるよりは、竟に能事未だ完からずとの念を排する能はざるものなり。
書き下し
復讐者の理由とする所は曰く、『我父は善人なり、非命に斃るべき者に非らず。然るに我仇は、我父を殺すの大虐を行へり。我父もし在らんには、必ずや此暴虐を看過せざるべし。昊天は悪徳を憎む。悪人を亡ぼすは我父の欲する所にして、又た天意なり。我仇は我手に死すべし。彼は我父の血を流したるが故に、父の血肉たる我は、亦た敵人の血を流さざるべからず。彼は倶に天を戴かざるの仇なり』と。此推論は簡単幼稚なり。されど此れ又た、精密なる衡平と均等なる正義との根本観念に基くものなることを示せり。ハムレットと雖、此れより更に深遠なる理由を有せざりしに非らずや。経に曰へり、『目を以て目に償ひ、歯を以て歯に償ふ』と。吾人が復讐の念は、数理の官能の如くに一毫をも疎にせず、方程式の両項数の適合するに非らざるよりは、ついに能事未だ完からずとの念を排する能はざるものなり。
現代語訳
復讐する者の理由はこうです。私の父は善人であり、非業の死を遂げるべき者ではなかった。しかるに私の仇は、父を殺すという大きな暴虐を行った。父がもし生きていれば、必ずこの暴虐を見過ごさなかっただろう。天は悪徳を憎む。悪人を滅ぼすのは父の望むところであり、また天の意志である。私の仇は私の手で死ぬべきだ。彼は私の父の血を流したのだから、父の血肉である私もまた敵の血を流さねばならない。彼は共に天を戴くことのできない仇である、と。この推論は単純で幼稚です。しかしこれもまた、精密な釣り合いと均等な正義という根本の観念に基づくことを示しています。ハムレットでさえ、これより深い理由を持っていたでしょうか。聖書にあります。目には目を、歯には歯を、と。私たちの復讐の念は、数理の感覚のように少しもおろそかにせず、方程式の両辺が合わないうちは、まだ仕事が終わっていないという思いを退けることができないのです。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・父の仇を報ずるは最も美しき近く米国の一将校にして、ドレフュスの仇を報ぜんが為、エステルハージーに決闘を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、姦淫は罪を構成せず、ただ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、ただ被害者の縁戚が、戒心以て讐を復することの、能く社会の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる、是れなり』と。而して日本人は之に加ふるに、必ずや『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。復讐は、之によりて自己が正義の念を満足せしむるものなり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・切腹と敵討は理由を喪失したされど復讐は、長者又た恩人の仇を報ずるに於てのみ正しとすべく、而して自から蒙りたる害悪の如き、又たは妻子の受けたる危害の如きは、すべからく之を容忍すべきものなりき。故に我が武士は、祖国の怨を報ぜんことを神明に誓ひたるハンニバルに寄するに満腔の同情を以てすと雖、彼のジェームス・ハミルトンが、妻女の墓側より一杯の砂粒を取りて紳に佩び、日夜、摂政マレーに対し我妻の怨を報ずるの念を刺衝したるに与せず。切腹及び敵討の二法度は、刑法の発布と共に其存在の理由を喪失したり。されば今や既に、美しき処女が身をやつして父の敵を尋ぬる小説的冒険を耳にすること無く、又た家族の復仇の悲劇を見ること無きに至れり。宮本武蔵の武者修行は、今やただ一条の昔語と過ぎて、規律森厳なる警吏は、被害者の為に犯罪人を追跡し、法律は義を行ひ非を正し、全国、全社会は、以て災害の応報違ふこと無きを認む。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・数項の刑法明文が根絶せしめたそれ正義の観念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神学者の評するが如くに、敵討のもし果して『犠牲の生血に渇し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、わずかに数項の刑法明文の、直ちに之を根絶せしめたる事、いづくんぞ能く今日の如くなるを得んや。切腹も亦た法度上、既に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人はなお往々、敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の継続せん限り、これを耳にすることあるべし。自殺宗信者の数は、世界中懼るべき速力を以て増加しつつあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるるに至らん。されど自殺論の著者モルセリ教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。
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『学問のすゝめ』六編・国法の貴きを論ず・親の敵は目の前に徘徊するも右の理をもって考うれば敵討ちのよろしからざることも合点すべし。わが親を殺したる者はすなわちその国にて一人の人を殺したる公の罪人なり。この罪人を捕えて刑に処するは政府に限りたる職分にて、平人の関わるところにあらず。しかるにその殺されたる者の子なればとて、政府に代わりて私にこの公の罪人を殺すの理あらんや。差し出がましき挙動と言うべきのみならず、国民たるの職分を誤り、政府の約束に背くものと言うべし。もしこのことにつき、政府の処置よろしからずして罪人を贔屓するなどのことあらば、その不筋なる次第を政府に訴うべきのみ。なんらの事故あるもけっしてみずから手を出だすべからず。たとい親の敵は目の前に徘徊するも私にこれを殺すの理なし。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・泉岳寺墓前の香華嫉の神を信じたる猶太教の如き、又た復讐の女神ネメシスを有したる希臘神話の如きは、或は復讐を以て人間以上の偉力に委ぬるを得べし。されど武士道は常識に基きて、敵討の制度を設け、普通法の審判するを得ざる事件を出訴すべき、一種の道義的衡平裁判所となしたり。四十七義士の主君の死罪に処せらるるや、彼は之を訴ふべき高級の法廷を有せざりき。而して其家臣の義士は、即ち当時に存在せし唯一の高等法廷たる復讐に訴へて、主君の冤を雪ぎ、而して自から又た普通法によりて罪を獲たり。されど其名は泉岳寺墓前の香華と共に、永へに薫じ、歳を経て緑の色変はること無し。老子は『怨に報ゆるに徳を以てす』と説きたりと雖、孔子の声は更に之よりも大なるものありて、『直きを以て怨に報ゆ』と教へたり。