武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・八麿より先ず腹切れよ
我等は寺院を去れり。我國の文學若くは實見者の物語よりして、切腹の狀景を徵せんとせば、盖し枚擧に遑あらずと雖、子は唯だ爰に以下の一例を加ふるを以て足れりとせん。左近、內記の兄弟あり、兄は二十四歲、弟は十八歲なりけるが、乃父の仇を報ぜんと欲して、家康を附狙ひたるに、不運にも、其陣屋に忍び入らんとする際捕へられて、哀はれ身は固圖の人となりたり。然るに老英雄は己れを害せんとしたる兄弟の者の健氣なる志を愛でゝ、譽の最期を遂げ得させよと命じたり。かくて一族の男子は皆罪せらるべきに定まりて、兩人が季弟に八麿とて當年八歲なりけるも、亦た死を賜はりぬ。三人の者は刑塲たる一寺に引立てられたり。其塲に居合せたる醫師の日誌の、其狀を記したるを見れば、三人の兄弟は、今を最期の坐に押し据ゑられたるに、左近は季弟に向ひて、『八麿より先づ腹切れよ、切損じ無きやう見届けくれんぞ』と云ふ。
新字:我等は寺院を去れり。我国の文学若くは実見者の物語よりして、切腹の状景を徴せんとせば、盖し枚挙に遑あらずと雖、子は唯だ爰に以下の一例を加ふるを以て足れりとせん。左近、内記の兄弟あり、兄は二十四歳、弟は十八歳なりけるが、乃父の仇を報ぜんと欲して、家康を附狙ひたるに、不運にも、其陣屋に忍び入らんとする際捕へられて、哀はれ身は固図の人となりたり。然るに老英雄は己れを害せんとしたる兄弟の者の健気なる志を愛でゝ、誉の最期を遂げ得させよと命じたり。かくて一族の男子は皆罪せらるべきに定まりて、両人が季弟に八麿とて当年八歳なりけるも、亦た死を賜はりぬ。三人の者は刑塲たる一寺に引立てられたり。其塲に居合せたる医師の日誌の、其状を記したるを見れば、三人の兄弟は、今を最期の坐に押し据ゑられたるに、左近は季弟に向ひて、『八麿より先づ腹切れよ、切損じ無きやう見届けくれんぞ』と云ふ。
書き下し
我等は寺院を去れり。我国の文学、もしくは実見者の物語よりして切腹の状景を徴せんとせば、けだし枚挙にいとまあらずと雖、予はただここに以下の一例を加ふるを以て足れりとせん。左近、内記の兄弟あり、兄は二十四歳、弟は十八歳なりけるが、乃父の仇を報ぜんと欲して家康を付け狙ひたるに、不運にも其陣屋に忍び入らんとする際、捕へられて、哀れ身は俎上の人となりたり。然るに老英雄は、己れを害せんとしたる兄弟の者の健気なる志を愛でて、誉の最期を遂げ得させよと命じたり。かくて一族の男子は皆罪せらるべきに定まりて、両人が季弟に八麿とて、当年八歳なりけるも、亦た死を賜はりぬ。三人の者は刑場たる一寺に引立てられたり。其場に居合せたる医師の日誌の、其状を記したるを見れば、三人の兄弟は今を最期の座に押し据ゑられたるに、左近は季弟に向ひて、『八麿より先づ腹切れよ、切損じ無きやう見届けくれんぞ』と云ふ。
現代語訳
私たちは寺院を去りました。わが国の文学あるいは目撃者の物語から切腹の様子を集めようとすれば、数え切れないほどありますが、私はただここに以下の一例を加えるだけで足りるとしましょう。左近と内記という兄弟があり、兄は二十四歳、弟は十八歳でしたが、父の仇を報じようとして家康を付け狙い、不運にもその陣屋に忍び入ろうとしたところで捕らえられ、哀れにも俎板の上の身となりました。しかし老英雄は、自分を害そうとした兄弟の健気な志を愛でて、名誉の最期を遂げさせよと命じました。こうして一族の男子は皆罪に処されることに決まり、二人の末の弟で八麿という当年八歳の子にも死が与えられました。三人は刑場となる一つの寺へ引き立てられました。その場に居合わせた医師の日誌がその様子を記したところによれば、三人の兄弟が最期の座に据えられたとき、左近は末の弟に向かって、八麿から先に腹を切れ、切り損ないのないよう見届けてやろう、と言いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・顔は糸一筋だも戦かず『拙者、今其の大罪を負ひて切腹致す。各方には検視の御役目、御苦労に存候』。またもや一礼終つて、善三郎は上衣を帯元まで脱ぎ下げ、腰の辺を露はせり。仰向に倒るること無からんやう、形の如く、静かに両袖を膝下に敷き入れたり。凡そ優尚なる日本の士人は、俯伏し仆れて死すべきものなりとせり。善三郎、じつと思入ありて、前なる短刀を確かと取り上げ、嬉しげに、さも愛着するばかりに打眺めて、しばらくは最期の観念を凝らすよと見えしが、やがて左の腹を深く刺して、徐かに右に引廻し、又た元に返して少しく切り上げたるは、凄ましとも痛ましかりける次第なり。されど善三郎が顔は、糸一筋だも戦かず、かくて短刀を引抜きつ、頸を差し伸べたる時、苦痛の色の初めて其顔にほのめきたれど、少しも音声に現はれず。
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・ミットフォードの見た切腹切腹は自殺の美なり。感情冷静、態度沈重なるに非らざるよりは、人能く之を行ふを得ず。かるが故に、切腹は特に武士に適したるものなりき。或は是れ好古癖に偏するの嫌ひなきにあらずと雖、予はなお此の既に廃絶せる儀式を記述せんことを欲す。されど既に能文の士の、巧みに之を描写せるあり、其書今や広く行はれざるを以て、予は此れよりして、いささか長文を引用せん。ミットフォード氏の名著『日本昔譚』は、日本の珍文書より得たる切腹説を訳載せる後、著者自から検使の一人たりし左の切腹の実例を詳記す。予等七人の公使館員は、日本検使の案内に連れて、儀式の執行せらるべき寺院の本堂に進み入りぬ。見るに其状甚だ森厳なり。堂内は屋宇高うして、煤黒の柱梁之を支へ、天井よりは寺院特有の仏燈、瓔珞、天蓋垂れ、高き仏壇の前には、床上三四寸の座席を設け、新畳を布き、紅毛氈を広げたり。
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・介錯とは英語に訳すべき文字なし高き燭台は程よき間に並びて、異様の薄暗き光を放ち、先づは今日の仕置を見るに足れり。七人の日本検使は高座の左方に在り、七人の外国人は其右に在り。他には又た一人をも見ず。ややしばらく待つ程に、滝善三郎は徐々と歩み出でたり。此人当年三十二歳、気品高尚に、身には礼服たる麻裃を折目正しく着なせり。後には一人の介錯と、金糸の刺繍ある陣羽織を着たる三人の役人随ふ。介錯とは英語に之を訳すべき文字あらず、エクセキューショナーとはおのづから異なり、士人之に任じ、多くは咎人の親戚、又たは友人より簡抜す。而して両者の関係は、咎人と創手とに非らずして、寧ろ主副の如し。今日の介錯は滝善三郎の門弟にして、剣道の達人たるが故、多数の友人中より特選せられたるものなり。
-
『武士道』第八章 名譽・我ら十三歳の時の又た有るべきか少壮、多く志を立てて郷関を出づるや、名もし成らずんば、死すとも帰らじと誓ひ、大志の母多く、愛児の、もし錦衣故郷に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば恥を遠ざけ、名を獲んが為に、士人の子弟は心志を苦しめ、筋骨を労して、艱難の惨烈なるをも辞せざりき。而して少年の名誉は、年と共にやうやく長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊頼宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、ついに其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刃を交ふるの機無かりしを悔い、しきりに落涙に及びけるを、老臣あり、慰藉して『今日、御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事、幾度も御座あるべく候』と諫めたれば、頼宣、之を聞き、其老臣を一睨して『我ら十三歳の時の、又た有るべきか』と叱したりと伝ふ。
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・腹を切るは何ぞ其の不合理なる切腹及び敵討の二制度に就いては、幾多海外文士の之を説いて、やや詳なるものあり。切腹、又た割腹、即ち世俗にはらきりと云ふは、其字の示すが如く、腹部を切りて自殺することなり。初めて此語を聞く者の或は叫びて云はん、『腹を切るは、何ぞ其の不合理なる』と。然り、外人の耳朶には、必ず先づ奇怪不合理の感を与ふべしと雖、凡そシェイクスピアを読みたるものならんには、之に由りて甚だしく奇異の感を起さざるべし。彼はブルータスの口に上ぼせて、『汝シーザーの魂魄現はれ、我が剣を逆にして、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時の英国詩宗が『亜細亜の光』に於て、剣を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを読め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ゐるものとなし、又た礼を失するものとなすこと無し。
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・一撃の下に首体たちまち処を異にす此時まで側に踞りて、善三郎の一挙一動を目じろぎもせず打守りゐたる介錯は、やをら立ち上り、大刀を空に揮上げたり。秋水一閃、物凄き音、どうと仆るる響、一撃の下に首体たちまち其処を異にせり。場内、粛として死せるが如く、ただわずかに前なる死首より迸り出づる血の凄しき音のみ聞ゆ。此首の主こそ、今の今まで勇邁剛毅の人なりけるを。ああ、懼しかりける事どもなりき。介錯は跪拝し、かねて用意したる白紙を取りて刃を拭ひつ、高座を下りぬ。血染の短刀は今日の仕置の証拠として、厳かに持ち去られたり。かくて御門の役人二人は其座を離れて、外国検使の前に来り、滝善三郎の処刑滞り無く相済みたり、実見せられよと云ふ。儀式はこれにて終はりぬ。