武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・最醜の死状も極めて荘高となる
更に他の一例を擧ぐれば、ゼノアのプラッゾ、ロツサの美術館に入つて、ゲルチノが筆に成れるカトー自殺の繪畫を見よ。又たアヂソンがカトーをして歌はしめたる、絕命の詩を讀みたるものゝ、劍は深く其腹を刺すの姿態を冷罵すること無けん。日本人の割腹を見ること、此れに伴ふに頗る高尙なる行爲と、悽愴なる悲哀の事例とを有するを以て、毫も嫌惡の感を生ずること無し、されば焉んぞ之に酬ゆるに嘲笑を以てすべけんや。夫れ德性、偉大、優情の事物を變化する力は洵に驚くべきものあり、葢し此れに由れば、最醜の死狀も極めて莊高となり、新生命の象徴となる。若し此力無かりせば、コンスタンチシ大帝の目に映じたる十字架の徽號の、安んぞ得て世界を征服するあらんや。
新字:更に他の一例を挙ぐれば、ゼノアのプラッゾ、ロツサの美術館に入つて、ゲルチノが筆に成れるカトー自殺の絵画を見よ。又たアヂソンがカトーをして歌はしめたる、絶命の詩を読みたるものゝ、剣は深く其腹を刺すの姿態を冷罵すること無けん。日本人の割腹を見ること、此れに伴ふに頗る高尚なる行為と、悽愴なる悲哀の事例とを有するを以て、毫も嫌悪の感を生ずること無し、されば焉んぞ之に酬ゆるに嘲笑を以てすべけんや。夫れ徳性、偉大、優情の事物を変化する力は洵に驚くべきものあり、葢し此れに由れば、最醜の死状も極めて荘高となり、新生命の象徴となる。若し此力無かりせば、コンスタンチシ大帝の目に映じたる十字架の徽号の、安んぞ得て世界を征服するあらんや。
書き下し
更に他の一例を挙ぐれば、ジェノアのパラッツォ・ロッソの美術館に入つて、グエルチーノが筆に成れるカトー自殺の絵画を見よ。又たアディソンがカトーをして歌はしめたる絶命の詩を読みたるものの、剣は深く其腹を刺すの姿態を冷罵すること無けん。日本人の割腹を見ること、此れに伴ふにすこぶる高尚なる行為と、悽愴なる悲哀の事例とを有するを以て、毫も嫌悪の感を生ずること無し。されば、いづくんぞ之に酬ゆるに嘲笑を以てすべけんや。それ徳性、偉大、優情の事物を変化する力は、まことに驚くべきものあり。けだし此れに由れば、最醜の死状も極めて荘高となり、新生命の象徴となる。もし此力無かりせば、コンスタンティヌス大帝の目に映じたる十字架の徽号の、いづくんぞ得て世界を征服するあらんや。
現代語訳
さらに別の例を挙げれば、ジェノヴァのパラッツォ・ロッソの美術館に入って、グエルチーノが描いたカトーの自殺の絵を見なさい。またアディソンがカトーに歌わせた絶命の詩を読んだ人は、剣が深く腹を刺す姿を冷ややかに罵ることはないでしょう。日本人が割腹を見るとき、それに伴うきわめて高尚な行為と、悲痛な悲しみの事例があるので、少しも嫌悪の感じを起こしません。ですからどうしてこれに嘲笑で報いられましょうか。徳性や偉大さや優しい情が物事を変える力は、まことに驚くべきものがあります。思うにこれによって、最も醜い死の姿もきわめて荘厳高貴なものとなり、新しい命の象徴となります。もしこの力がなければ、コンスタンティヌス大帝の目に映った十字架のしるしが、どうして世界を征服できたでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生命は廉なりき切腹を以て名誉の死となしたるは、おのづから多大なる誘惑の因素となりて、ここに無分別なる自殺者を生ずるに至りたり。毫も道義に合せず、又た死を値ひすること無き理由の故に、躁急なる若輩が、飛んで火に入る夏の虫の如く、匆忙として死に就き、是非の曖昧なる動機よりして、武士の自から其命を殞するもの、修道院の門に馳する尼衆よりも多かりき。生命は廉に、即ち世の定むる名誉の標準より量るに、すこぶる廉なりき。されど甚だ悲しむべきは、其名誉てふものの、謂はば常に両替歩合の定まりたるものに非らずして、必ずしも正金ならず、却つて劣等の金属を混和するものなりしことなりき。地獄の圏界中、かのダンテが自殺の犠牲を幽閉したる第七圏ばかり、日本人の多数に誇るものはあらざるべし。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・腹を切るは何ぞ其の不合理なる切腹及び敵討の二制度に就いては、幾多海外文士の之を説いて、やや詳なるものあり。切腹、又た割腹、即ち世俗にはらきりと云ふは、其字の示すが如く、腹部を切りて自殺することなり。初めて此語を聞く者の或は叫びて云はん、『腹を切るは、何ぞ其の不合理なる』と。然り、外人の耳朶には、必ず先づ奇怪不合理の感を与ふべしと雖、凡そシェイクスピアを読みたるものならんには、之に由りて甚だしく奇異の感を起さざるべし。彼はブルータスの口に上ぼせて、『汝シーザーの魂魄現はれ、我が剣を逆にして、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時の英国詩宗が『亜細亜の光』に於て、剣を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを読め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ゐるものとなし、又た礼を失するものとなすこと無し。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・敵討もまた美点ありや世には基督教と異教徒との間に、一大障壁を築くに鋭意するものありと雖、いかんせん、此等の訓語は、宇内人類の凡て道徳的一致の点を有するものなることを例証すべき、九牛の一毛に非らずや。吾人は既に、切腹てふ武士道制度の、之を一見すれば或は其妄なるに驚くことあるべしと雖、其実決して悖理蛮野の弊習に非らざるを知れり。吾人は今ここに、切腹と姉妹の制度たる敵討、即ち復讐も亦た之に美点あり、特長あるや否やを観察せんとす。然るに此れと斉しき制度もしくは習慣は、時代の異同こそあれ、凡ての民族間に行はれたるものにして、今日と雖、未だ全く廃弛せず。決闘、私刑の形を以て欧米の国にすら、なお存続するものなるを以て、此問題の如きは、予はわずかに数語を以て之を解明するを得べきものなるが如し。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・哲学者の始祖の死も半ば自殺其霊魂を幽冥に葬れるもの、知らず果して幾許人なるやを。武士道は名誉を伴ふの死を以て、盤根錯節を断つの利刃なりとせり。されば志望雄大なる武士は、天命を完うして死するを以て、無気力平凡にして、士の冀ふべき最期にあらずとしたり。惟ふに基督教徒と雖、もし明らさまに其心情を告白する者ならんには、彼のカトー・ブルータス・ペトロニウス其他古代の俊豪の、自から此世の生命を喪ひたる、其荘高沈重なる態度を見て、現はに之を賞揚すること無しとすとも、なお且つ此れが美観に恍惚たるを云ふもの、必ずや少からざるべし。哲学者の始祖の死も亦た半ば自殺なりと云はんとせば、此れ果して過言なるべきか。其門弟子よりして、其師が逃走の機会を避け、自から道義上誤謬あるを認識せる国家の命令に服従して、己が手に毒杯を取り、而して先づ其毒液を注いで神明に捧げたるの状を審かにするの時、ソクラテスの所行態度は、凡て此れ自殺の行為なるを認むべきに非らずや。
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