武士道 / 第十一章 克己・事に激すること速やかなるがゆえに
人又た說をなして、日本人は神經遲鈍なるが故に、能く苦痛に耐へ、死を恐れざるものなりと云ふことあり。果して然りとすとも、猶ほ是れ大いに稱すべし。而して繼いで起るべき問題あり、即ち日本人の神經は何故に、其緊縮の度の他國人よりも更に緩舒なるかと。盖し我國の風土の米國に於けるが如くに人を興奮せしめ得ざるが故なる乎。或は、我國の君主政體は、共和政治の佛國人に於て見るが如くに、國人を激勵すること多からざるが故なる乎。將た又た吾人は、英國人の如くに、銳意『サルトル、レザルタス』を讀むこと無きが故なる乎。予は自から信ず吾人は事に激すること速かに、感情銳敏なるが故に即ち絕えず之を自制するを必要として、之を勵行するに至りたるものなりと。
新字:人又た説をなして、日本人は神経遅鈍なるが故に、能く苦痛に耐へ、死を恐れざるものなりと云ふことあり。果して然りとすとも、猶ほ是れ大いに称すべし。而して継いで起るべき問題あり、即ち日本人の神経は何故に、其緊縮の度の他国人よりも更に緩舒なるかと。盖し我国の風土の米国に於けるが如くに人を興奮せしめ得ざるが故なる乎。或は、我国の君主政体は、共和政治の仏国人に於て見るが如くに、国人を激励すること多からざるが故なる乎。将た又た吾人は、英国人の如くに、鋭意『サルトル、レザルタス』を読むこと無きが故なる乎。予は自から信ず吾人は事に激すること速かに、感情鋭敏なるが故に即ち絶えず之を自制するを必要として、之を励行するに至りたるものなりと。
書き下し
人又た説をなして、日本人は神経遅鈍なるが故に、能く苦痛に耐へ、死を恐れざるものなりと云ふことあり。果して然りとすとも、なお是れ大いに称すべし。而して継いで起るべき問題あり、即ち日本人の神経は、何故に其緊縮の度の、他国人よりも更に緩舒なるかと。けだし我国の風土の、米国に於けるが如くに人を興奮せしめ得ざるが故なるか。或は我国の君主政体は、共和政治の仏国人に於て見るが如くに国人を激励すること多からざるが故なるか。はた又た吾人は、英国人の如くに鋭意『サーター・リサータス』を読むこと無きが故なるか。予は自から信ず、吾人は事に激すること速かに、感情鋭敏なるが故に、即ち絶えず之を自制するを必要として、之を励行するに至りたるものなりと。
現代語訳
また人は説を立てて、日本人は神経が鈍いから苦痛によく耐え、死を恐れないのだ、と言うことがあります。かりにそうだとしても、なお大いに称賛すべきことです。そして次に起こるべき問題があります。すなわち日本人の神経は、なぜその緊張の度合いが他国の人より緩やかなのか、と。わが国の風土がアメリカのように人を興奮させないからでしょうか。あるいはわが国の君主政体が、共和政治のフランス人に見るように国民を激励することが多くないからでしょうか。それとも私たちは、イギリス人のように熱心に『衣服哲学』を読まないからでしょうか。私は自ら信じます。私たちは物事に感じて激することが速く、感情が鋭敏であるからこそ、絶えずそれを自制する必要があり、それを励行するに至ったのだ、と。
解説

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