武士道 / 第十一章 克己・笑は心の平衡を得しむ
されば彼の高貴なるホーヘンツオーレルン陛下の未だ、『怨言せずして、寧ろ耐ふることを學べ』との尊貴なる綸言を垂れさせられざるに於て、日本人心は夙に此の諭誥を服膺したるものなり。然り、日本人は、其人性の弱點の、酷烈なる試練を蒙るに當りてや、必ず、其笑癖を現はし來る。吾人は彼の笑の哲人デ憂苦モクリタスにも優りて、笑癖を有するの理由を持す。悲愁の爲に性情を惱亂せらるゝの時、往々にして笑ふことあるは其性情を平靜に復せしめんと勉むるを隱くすものたり。笑は悲哀憤怒を抑へて、心の平衡を得しむるものなり。夫れ斯の如く、人の必ずや、其情感を抑制せんと勉むるが故に、又た其情感は簡潔なる詩句歌什の安全瓣を通じて漏るゝことあり。
新字:されば彼の高貴なるホーヘンツオーレルン陛下の未だ、『怨言せずして、寧ろ耐ふることを学べ』との尊貴なる綸言を垂れさせられざるに於て、日本人心は夙に此の諭誥を服膺したるものなり。然り、日本人は、其人性の弱点の、酷烈なる試練を蒙るに当りてや、必ず、其笑癖を現はし来る。吾人は彼の笑の哲人デ憂苦モクリタスにも優りて、笑癖を有するの理由を持す。悲愁の為に性情を悩乱せらるゝの時、往々にして笑ふことあるは其性情を平静に復せしめんと勉むるを隠くすものたり。笑は悲哀憤怒を抑へて、心の平衡を得しむるものなり。夫れ斯の如く、人の必ずや、其情感を抑制せんと勉むるが故に、又た其情感は簡潔なる詩句歌什の安全瓣を通じて漏るゝことあり。
書き下し
されば彼の高貴なるホーヘンツォレルン陛下の、未だ『怨言せずして、寧ろ耐ふることを学べ』との尊貴なる綸言を垂れさせられざるに於て、日本人心はつとに此の諭誥を服膺したるものなり。然り、日本人は、其人性の弱点の、酷烈なる試練を蒙るに当りてや、必ず其笑癖を現はし来る。吾人は彼の笑の哲人デモクリトスにも優りて、笑癖を有するの理由を持す。悲愁の為に性情を悩乱せらるるの時、往々にして笑ふことあるは、其性情を平静に復せしめんと勉むるを隠くすものたり。笑は悲哀憤怒を抑へて、心の平衡を得しむるものなり。それかくの如く、人の必ずや其情感を抑制せんと勉むるが故に、又た其情感は、簡潔なる詩句歌什の安全弁を通じて漏るることあり。
現代語訳
ですから、あの高貴なホーエンツォレルン家の陛下が、恨み言を言わずむしろ耐えることを学べ、という尊いお言葉を下される以前から、日本人の心は早くからこの教えを守ってきました。そのとおり、日本人は人間としての弱点が厳しい試練を受けるとき、必ずその笑う癖を現します。私たちはあの笑う哲人デモクリトスにもまして、笑う癖を持つ理由があります。悲しみのために心が乱されるとき、しばしば笑うのは、その心を平静に戻そうと努めていることを隠すものです。笑いは悲しみや怒りを抑えて、心の釣り合いを得させるものです。このように人が必ず感情を抑えようと努めるので、その感情は簡潔な詩句や歌という安全弁を通じて漏れることがあります。
解説
この章句が説くこと
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