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武士道 / 第十一章 克己・口開いて膓見ゆる柘榴かな

『口開いて膓見ゆる柘榴かな』。此輩は正に呆然口を開いて心情の量を暴露する柘榴なり。吾人が感情の發動するに當り、却つて之を隱蔽せんが爲比山七八に、敢て緘默せんと勉むるは、是れ决して東洋の人心の執拗冷淡なるが故なるのみに非らず。佛國タレランの云へるが如く、日本人に在りても亦た往々、談話は『思想を隱くすの技』たることあるを以てなり。外人試みに、日本の友人を訪ふて其深甚なる悲嘆に沈めるを慰めんか、必ずや、其友の、赤き眼、濕へる頬にも、猶ほ莞爾として微笑を湛へ、以て彼れを迎ふるあらん。彼れは其友を以て一見或は狂ならざるやを疑ふべし。敢て友人が悲歎に沈むの理由を問はんか、友人は『人生悲哀多し』、『會者常離』、『生者必滅』、『死兒の齡を算するは癡なり、されど女は愚に流るゝものぞ』等、常套の數語を用ひて答ふるに過ぎざるべし。

新字:『口開いて膓見ゆる柘榴かな』。此輩は正に呆然口を開いて心情の量を暴露する柘榴なり。吾人が感情の発動するに当り、却つて之を隠蔽せんが為比山七八に、敢て緘黙せんと勉むるは、是れ決して東洋の人心の執拗冷淡なるが故なるのみに非らず。仏国タレランの云へるが如く、日本人に在りても亦た往々、談話は『思想を隠くすの技』たることあるを以てなり。外人試みに、日本の友人を訪ふて其深甚なる悲嘆に沈めるを慰めんか、必ずや、其友の、赤き眼、湿へる頬にも、猶ほ莞爾として微笑を湛へ、以て彼れを迎ふるあらん。彼れは其友を以て一見或は狂ならざるやを疑ふべし。敢て友人が悲嘆に沈むの理由を問はんか、友人は『人生悲哀多し』、『会者常離』、『生者必滅』、『死児の齢を算するは癡なり、されど女は愚に流るゝものぞ』等、常套の数語を用ひて答ふるに過ぎざるべし。

書き下し

『口開いて膓見ゆる柘榴かな』。此輩は正に、呆然口を開いて心情の量を暴露する柘榴なり。吾人が感情の発動するに当り、却つて之を隠蔽せんが為、敢て緘黙せんと勉むるは、これ決して東洋の人心の執拗冷淡なるが故なるのみに非らず。仏国タレーランの云へるが如く、日本人に在りても亦た往々、談話は『思想を隠くすの技』たることあるを以てなり。外人試みに、日本の友人を訪ふて其深甚なる悲嘆に沈めるを慰めんか、必ずや其友の、赤き眼、湿へる頬にも、なお莞爾として微笑を湛へ、以て彼れを迎ふるあらん。彼れは其友を以て、一見或は狂ならざるやを疑ふべし。敢て友人が悲歎に沈むの理由を問はんか、友人は『人生悲哀多し』『会者常離』『生者必滅』『死児の齢を算するは癡なり、されど女は愚に流るるものぞ』等、常套の数語を用ひて答ふるに過ぎざるべし。

現代語訳

口を開いて腸が見える柘榴だな、という句があります。そういう連中はまさに、ぽかんと口を開けて心情の中身をさらけ出す柘榴です。私たちが感情が湧いたとき、かえってそれを隠すためにあえて黙っていようと努めるのは、決して東洋人の心が頑なで冷淡だからではありません。フランスのタレーランが言ったように、日本人にあってもまた、しばしば会話が思想を隠す技であるからです。外国人が試みに日本の友人を訪ねて、その深い悲嘆に沈むのを慰めようとすれば、必ずその友は、赤い目と濡れた頬をしながらも、にっこりと微笑をたたえて彼を迎えるでしょう。彼はその友を、一見して気が狂っているのではないかと疑うかもしれません。あえて友人が悲嘆に沈む理由を問えば、友人は、人生には悲しみが多い、会う者は必ず別れる、生ある者は必ず滅する、死んだ子の年を数えるのは愚かだが女は愚かに流れるものだ、といった決まり文句の数語で答えるにすぎないでしょう。

解説

割れた柘榴の句が、饒舌への批評として使われます。中身が見えてしまうのは、実ではなく裂け目だという皮肉です。そして会話が思想を隠す技だというタレーランの言葉。泣いた顔で微笑んで客を迎え、決まり文句だけで答える。外国人には狂気に見えるその振る舞いが、実は最大限の抑制だと説明されます。文化の違いが誤解を生む場面の、具体的な解剖です。

この章句が説くこと

克己饒舌隠す悲嘆誤解

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