武士道 / 第十章 武士の教育・師は克己心の活例なりき
夫れ既に量るべからざるものあり。されば、陽に價を計るの媒介たる貨幣の如きは、此れに酬うるも尙ほ以て償ふに足らずとせり。昔時は子弟たるもの、一年某々の季節を定めて師に贈るに金品を以てするの習慣ありしが、斯は敢て報酬として贈るにあらず、されば多くは性行嚴正にして、清貧の裡に高く標置し其尊大なるは手に賴りて勞作するを肯ぜず、人に乞ふを潔しとせざる師も尙ほ懽びて之を受納したり。師は旣に貧苦に屈せざる高邁なる精神の化身なり、學問の目的の儀表なり。故に師は又た凡そ武士道に缺くべからざる鍛鍊の鍛鍊たる克己心の活例なりき第十一章
新字:夫れ既に量るべからざるものあり。されば、陽に価を計るの媒介たる貨幣の如きは、此れに酬うるも尚ほ以て償ふに足らずとせり。昔時は子弟たるもの、一年某々の季節を定めて師に贈るに金品を以てするの習慣ありしが、斯は敢て報酬として贈るにあらず、されば多くは性行厳正にして、清貧の裡に高く標置し其尊大なるは手に頼りて労作するを肯ぜず、人に乞ふを潔しとせざる師も尚ほ懽びて之を受納したり。師は旣に貧苦に屈せざる高邁なる精神の化身なり、学問の目的の儀表なり。故に師は又た凡そ武士道に欠くべからざる鍛錬の鍛錬たる克己心の活例なりき第十一章
書き下し
それ既に量るべからざるものあり。されば、陽に価を計るの媒介たる貨幣の如きは、此れに酬うるもなお以て償ふに足らずとせり。昔時は子弟たるもの、一年某々の季節を定めて、師に贈るに金品を以てするの習慣ありしが、これ敢て報酬として贈るにあらず。されば多くは性行厳正にして、清貧の裡に高く標置し、其尊大なるは手に頼りて労作するを肯ぜず、人に乞ふを潔しとせざる師も、なお喜びて之を受納したり。師は既に貧苦に屈せざる高邁なる精神の化身なり、学問の目的の儀表なり。故に師は又た、凡そ武士道に欠くべからざる鍛錬の鍛錬たる克己心の活例なりき。
現代語訳
そもそも測ることのできないものがあります。ですから、表向き価値を計る媒介である貨幣のようなものでは、これに報いてもなお償うに足りないとしました。昔は弟子たる者が、年に何度か季節を定めて師に金品を贈る習慣がありましたが、これはあえて報酬として贈るのではありません。ですから多くは品行が厳正で、清らかな貧しさの中に高く身を置き、その気位の高さは自分の手に頼って働くことを肯んぜず、人に乞うことを潔しとしない師も、喜んでそれを受け取りました。師はすでに貧苦に屈しない高邁な精神の化身であり、学問の目的の手本です。ですから師はまた、武士道に欠かせない鍛錬の中の鍛錬である克己心の、生きた実例でした。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十章 武士の教育・精神上の勤労は価無きに非ず今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に、かつて行はれしこと無かりき。武士道は、金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。けだし賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発に裨補する任務の如きに至りては、其量のもとより瞭かならざるを以て、ひとり之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。
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『武士道』第十章 武士の教育・金銭を賤しむ富めるは智に害あり』と云へり。かるが故に児童は長じて、全く経済の道を暁らず、又た之を士人の口に上ぼすを愧ぢ、貨幣の価を知らざるは、教養の特に宜しきを得たるものなるを証すとしたり。軍勢を集め、恩賞俸禄を分つには、必ずや数の知識の欠くべからざるに拘はらず、金銭の出納は之を小身の輩に委ね、一藩の財政を挙げて下級武士、又たは御坊主の掌中に帰したりし事も亦た尠からざりき。深慮遠謀の士は、金銭の実に戦の筋力なるを熟知したりと雖、敢て金銭を重んずるの念を崇めて、一の道徳と成すに想ひ到らず。節倹は武士の命ぜらるる所なりしと雖、これ又た経済上の理由に基くものに非らずして、却つて嗜慾を克制せんが為なりき。
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『武士道』第十章 武士の教育・金銭は糞土も啻ならず武士道は不経済的なり、貧しきを以て其誇とし、ヴェンティディウスと共に、『武士の徳たる大望は、利の為に辱を蒙らんよりは、寧ろ損を択ばんことを冀ふもの也』と云へり。ドン・キホーテは、金銀封土を軽んじ、錆びたる槍、痩せたる馬を誇りとしたり。而して日本武士は、この奇異なるラマンチャ住人に満腔の同感を表せん。武士は賭物を斥け、産を興し、富を貯ふるの業を賤みたり。金銭は武士より之を見る、真に糞土もただならず。世道人心の頽廃を歎ずるもの、ややもすれば、すなはち今なお陳腐の古語を借りて、文臣銭を愛し、武臣命を惜む、と云ふ。生命財産に卑吝なるを侮蔑し、或は却つて寧ろ之を蕩尽するを頌揚するあり。古諺にも、『就中、金銀の慾を思ふべからず。
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『武士道』第十章 武士の教育・武士道は黄白より胚胎する禍を免る奢侈は人に於て最も懼るべき所、武士は極めて質素ならざるべからずとし、而して幕府以下諸藩に於て、しばしば奢侈の禁令を励行したることあり。羅馬の古史を読むに当り、税吏其他の財政に干与する吏輩の、漸次武士の階級に進みて、其国家は此輩の職任を重視し、金銭を尊ぶに至りしを記すを見る。而して此事たる、羅馬人の奢侈貪婪の嗜癖と関聯すること如何に多大なりしかは、之を推するに難からず。然るに武士道の教訓は之に反し、理財の道を以て紀律上卑賤なるもの、即ち道徳上、知識上の任務に比するにすこぶる劣等なるものとせり。金銭を軽んじ、殖財の念を賤めたること既にかくの如くなりしを以て、武士道は長く黄白より胚胎せる凡百の禍より免るることを得たり。
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