武士道 / 第十章 武士の教育・教育の最大目的は品性を確立する
これ實に我國の公吏の久しく腐敗の汚辱に遠かるを得たる所以なり。されど悲しいかな、世運の變轉と共に、今や金權の增大すること、彼れが如く一に何ぞ其速かなるの甚だしきや。今の時に於て、明確緻密なる智才の修練は、主として數學の研究に由りて補益を俟つと雖徃時に在りては文學の釋註、經書の辯疏に由りて之を供給せられたり。抽象的問題の少年の心念を困惑するもの尠く、從つて其教育の最大目的は、所謂、品性を確立するに在りき。されば唯だ博學なるの故を以て、必らずしも他の尊崇を受くること能はず。○ベーコンは、學問の三効を擧げて、娛樂、裝飾、實力なりと云へり。而して武士道は斷乎として其實力の効を採り即ち『事務を判定處理』するの用に資したり。
新字:これ実に我国の公吏の久しく腐敗の汚辱に遠かるを得たる所以なり。されど悲しいかな、世運の変転と共に、今や金権の增大すること、彼れが如く一に何ぞ其速かなるの甚だしきや。今の時に於て、明確緻密なる智才の修練は、主として数学の研究に由りて補益を俟つと雖往時に在りては文学の釈註、経書の弁疏に由りて之を供給せられたり。抽象的問題の少年の心念を困惑するもの尠く、従つて其教育の最大目的は、所謂、品性を確立するに在りき。されば唯だ博学なるの故を以て、必らずしも他の尊崇を受くること能はず。○ベーコンは、学問の三効を挙げて、娛楽、装飾、実力なりと云へり。而して武士道は断乎として其実力の効を採り即ち『事務を判定処理』するの用に資したり。
書き下し
これ実に我国の公吏の、久しく腐敗の汚辱に遠かるを得たる所以なり。されど悲しいかな、世運の変転と共に、今や金権の増大すること、一に何ぞ其速かなるの甚だしきや。今の時に於て、明確緻密なる智才の修練は、主として数学の研究に由りて補益を俟つと雖、往時に在りては、文学の釈註、経書の弁疏に由りて之を供給せられたり。抽象的問題の、少年の心念を困惑するもの尠く、従つて其教育の最大目的は、所謂、品性を確立するに在りき。されば、ただ博学なるの故を以て、必らずしも他の尊崇を受くること能はず。ベーコンは、学問の三効を挙げて、娯楽、装飾、実力なりと云へり。而して武士道は断乎として其実力の効を採り、即ち『事務を判定処理』するの用に資したり。
現代語訳
これこそ実に、わが国の役人が長く腐敗の汚辱から遠ざかることのできた理由です。しかし悲しいことに、世の移り変わりとともに、今や金の力が増大することの何と速いことでしょう。今の時代において、明確で緻密な知力の訓練は主に数学の研究によって補われますが、昔は文学の注釈や経書の解説によって供給されました。抽象的な問題が少年の心を困らせることは少なく、したがってその教育の最大の目的は、いわゆる品性を確立することにありました。ですから、ただ博学であるという理由だけで必ずしも人の尊敬を受けることはできませんでした。ベーコンは学問の三つの効用を挙げて、娯楽、装飾、実力だと言いました。そして武士道は断固としてその実力の効を取り、すなわち事務を判定し処理する用に役立てました。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十章 武士の教育・文学は消閑の娯楽として修む英国詩人の云へるが如く、武士は『人を救ふは信条に非らずして、信条を全うするは、ただ人に在り』と信ぜり。哲理と文学との二は、武士の智育の眼目を成せりと雖、此等を修むるに於ても、亦た武士の志す所は客観の真理に非ず。文学は要するに消閑の娯楽として之を修め、哲理は軍旅もしくは政治の問題を解明するが為に之を講ずるか、然らざれば品性を作るの実用に資するものなりき。しかるが故に、武士教育の課程は主として、撃剣、射術、柔術、騎術、槍術、兵法、書道、倫理、文学及び歴史の類なりしことは、又た異しむを須ひず。此中、柔術及び書道を必須とする要旨は、多少之れが説明を加へざれば、或は領し難きものあるべし。能書良筆を尊びたる所以のものは、けだし漢字の形象に成れるが故に、絵画の性質を帯びて美術的価値を有すると、又た筆蹟は人の性格を表示するものなりと認むるに由る。
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『武士道』第十章 武士の教育・金銭を賤しむ富めるは智に害あり』と云へり。かるが故に児童は長じて、全く経済の道を暁らず、又た之を士人の口に上ぼすを愧ぢ、貨幣の価を知らざるは、教養の特に宜しきを得たるものなるを証すとしたり。軍勢を集め、恩賞俸禄を分つには、必ずや数の知識の欠くべからざるに拘はらず、金銭の出納は之を小身の輩に委ね、一藩の財政を挙げて下級武士、又たは御坊主の掌中に帰したりし事も亦た尠からざりき。深慮遠謀の士は、金銭の実に戦の筋力なるを熟知したりと雖、敢て金銭を重んずるの念を崇めて、一の道徳と成すに想ひ到らず。節倹は武士の命ぜらるる所なりしと雖、これ又た経済上の理由に基くものに非らずして、却つて嗜慾を克制せんが為なりき。
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『武士道』第十章 武士の教育・武士道は黄白より胚胎する禍を免る奢侈は人に於て最も懼るべき所、武士は極めて質素ならざるべからずとし、而して幕府以下諸藩に於て、しばしば奢侈の禁令を励行したることあり。羅馬の古史を読むに当り、税吏其他の財政に干与する吏輩の、漸次武士の階級に進みて、其国家は此輩の職任を重視し、金銭を尊ぶに至りしを記すを見る。而して此事たる、羅馬人の奢侈貪婪の嗜癖と関聯すること如何に多大なりしかは、之を推するに難からず。然るに武士道の教訓は之に反し、理財の道を以て紀律上卑賤なるもの、即ち道徳上、知識上の任務に比するにすこぶる劣等なるものとせり。金銭を軽んじ、殖財の念を賤めたること既にかくの如くなりしを以て、武士道は長く黄白より胚胎せる凡百の禍より免るることを得たり。
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『武士道』第十章 武士の教育・精神上の勤労は価無きに非ず今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に、かつて行はれしこと無かりき。武士道は、金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。けだし賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発に裨補する任務の如きに至りては、其量のもとより瞭かならざるを以て、ひとり之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。
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