武士道 / 第十章 武士の教育・金銭を賤しむ
富めるは智に害あり』と云へり。かるが故に兒童は長じて、全く經濟の道を曉らず、又た之を士人の口に上ぼすを愧ぢ、貨幣の價を知らざるは、教養の特に宜しきを得たるものなるを證すとしたり。軍勢を集め、恩賞俸祿を分つには、必ずや數の知識の缺くべからざるに拘はらず、金錢の出納は、之を小身の輩に委ね、一藩の財政を擧げて下級武士、又たは御坊主の掌中に歸したりし事シニユーズ、も亦た尠からざりき。深慮遠謀の士は金錢の實に『戰のオゲ、ウオーア筋力』なるを熟知したりと雖、敢て金錢を重んずるの念を崇めて、一の道德と成すに想ひ到らず。、節儉は武士の命ぜらるゝ所なりしと雖、これ又た經濟上の理由に基くものに非らずして、却つて嗜慾を克制せん、が爲なりき。
新字:富めるは智に害あり』と云へり。かるが故に児童は長じて、全く経済の道を暁らず、又た之を士人の口に上ぼすを愧ぢ、貨幣の価を知らざるは、教養の特に宜しきを得たるものなるを證すとしたり。軍勢を集め、恩賞俸禄を分つには、必ずや数の知識の欠くべからざるに拘はらず、金銭の出納は、之を小身の輩に委ね、一藩の財政を挙げて下級武士、又たは御坊主の掌中に帰したりし事シニユーズ、も亦た尠からざりき。深慮遠謀の士は金銭の実に『戦のオゲ、ウオーア筋力』なるを熟知したりと雖、敢て金銭を重んずるの念を崇めて、一の道徳と成すに想ひ到らず。、節倹は武士の命ぜらるゝ所なりしと雖、これ又た経済上の理由に基くものに非らずして、却つて嗜慾を克制せん、が為なりき。
書き下し
富めるは智に害あり』と云へり。かるが故に児童は長じて、全く経済の道を暁らず、又た之を士人の口に上ぼすを愧ぢ、貨幣の価を知らざるは、教養の特に宜しきを得たるものなるを証すとしたり。軍勢を集め、恩賞俸禄を分つには、必ずや数の知識の欠くべからざるに拘はらず、金銭の出納は之を小身の輩に委ね、一藩の財政を挙げて下級武士、又たは御坊主の掌中に帰したりし事も亦た尠からざりき。深慮遠謀の士は、金銭の実に戦の筋力なるを熟知したりと雖、敢て金銭を重んずるの念を崇めて、一の道徳と成すに想ひ到らず。節倹は武士の命ぜらるる所なりしと雖、これ又た経済上の理由に基くものに非らずして、却つて嗜慾を克制せんが為なりき。
現代語訳
富むことは知恵に害がある、と言いました。ですから子どもは成長しても経済の道をまったく知らず、またそれを武士の口に上らせるのを恥じ、貨幣の価値を知らないことこそ教養がとくに優れている証拠だとしました。軍勢を集め、恩賞や俸禄を分けるには数の知識が欠かせないにもかかわらず、金銭の出納は身分の低い者に委ね、一つの藩の財政をすべて下級武士や御坊主の手に任せていたことも少なくありませんでした。深く先を読む武士は、金銭が実に戦の筋力であることをよく知っていましたが、あえて金銭を重んじる心を尊んで一つの道徳とするところまでは思い至りませんでした。倹約は武士に命じられたことでしたが、これもまた経済上の理由によるものではなく、むしろ欲望を抑えるためでした。
解説
この章句が説くこと
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