師導古典を学びたいすべての人に

武士道 / 第十章 武士の教育・武士の教育に欠けたる算数

柔術は即ちやはらかき術にして、之れが簡短なる定義を下さば、即ち攻守の業に、人體解剖の知識を適用したるものなりと云ふを得ん。角力とは自から其類を異にして筋力に賴るものに非らず。又た他の格闘の法と異なりて毫も武器を用ゐず。其法とする所は、敵の身體の某所を摑み、或は之を打ちて、麻痺せしめ、再び抵抗する能はざらしむるに在り。其目的は、殺戮に非らず、唯だ一時、敵の力を奪つて活動する能はざらしむるに在りとす。軍事の教育上、必ずや勿かるべからざるが如くにして、而も武士教育中著しく之れを缺きたるものは、即ち算數なり。盖し其然る所以は、封建時代の戰爭たる、學術的に綿密なるを以てせざりしが故なり。加之ならず、凡で武人の教育は、數の觀念を養ふに適せざりき。

新字:柔術は即ちやはらかき術にして、之れが簡短なる定義を下さば、即ち攻守の業に、人体解剖の知識を適用したるものなりと云ふを得ん。角力とは自から其類を異にして筋力に頼るものに非らず。又た他の格闘の法と異なりて毫も武器を用ゐず。其法とする所は、敵の身体の某所を摑み、或は之を打ちて、麻痺せしめ、再び抵抗する能はざらしむるに在り。其目的は、殺戮に非らず、唯だ一時、敵の力を奪つて活動する能はざらしむるに在りとす。軍事の教育上、必ずや勿かるべからざるが如くにして、而も武士教育中著しく之れを欠きたるものは、即ち算数なり。盖し其然る所以は、封建時代の戦争たる、学術的に綿密なるを以てせざりしが故なり。加之ならず、凡で武人の教育は、数の観念を養ふに適せざりき。

書き下し

柔術は即ち柔かき術にして、之れが簡短なる定義を下さば、即ち攻守の業に、人体解剖の知識を適用したるものなりと云ふを得ん。角力とはおのづから其類を異にして、筋力に頼るものに非らず。又た他の格闘の法と異なりて、毫も武器を用ゐず。其法とする所は、敵の身体の某所を摑み、或は之を打ちて麻痺せしめ、再び抵抗する能はざらしむるに在り。其目的は殺戮に非らず、ただ一時、敵の力を奪つて活動する能はざらしむるに在りとす。軍事の教育上、必ずや無かるべからざるが如くにして、而も武士教育中、著しく之れを欠きたるものは、即ち算数なり。けだし其然る所以は、封建時代の戦争たる、学術的に綿密なるを以てせざりしが故なり。しかのみならず、凡て武人の教育は、数の観念を養ふに適せざりき。

現代語訳

柔術とは柔らかい術であり、これに短い定義を下せば、攻めと守りの業に人体解剖の知識を応用したものと言えるでしょう。相撲とはおのずから種類を異にし、筋力に頼るものではありません。また他の格闘の法と異なり、少しも武器を用いません。その方法は、敵の身体のある箇所をつかみ、あるいは打って麻痺させ、再び抵抗できなくすることにあります。その目的は殺すことではなく、ただ一時的に敵の力を奪って動けなくすることにあります。軍事の教育上、必ずなければならないもののようでありながら、武士の教育の中で著しく欠けていたものは算数です。思うにその理由は、封建時代の戦争が学術的に綿密ではなかったからです。それだけでなく、すべて武人の教育は数の観念を養うのに適していませんでした。

解説

柔術が解剖学の応用として説明され、目的が殺すことではなく無力化することだと明記されます。武器を使わず、力にも頼らないという定義も的確です。そして話は欠落へ移ります。武士教育に算数がなかった。軍事に必要なはずのものが欠けていた理由を、戦争が綿密でなかったからだと述べる。次の段以降で、数を嫌ったことの功罪が両面から論じられていきます。

この章句が説くこと

柔術解剖無力化算数欠落

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる