武士道 / 第九章 忠節・己を愛する者を愛するは
唯だ其聲の、此には目に見ゆる天使より下り、彼には目に見えざる天使より來り、此れは肉の耳に聞き、彼れは心の耳に徹したるの差あるのみ。嗚呼、然りと雖予は說教者の口吻に倣ふことを止めん。西洋の個人主義は、父子、夫婦の間にも、利害の分離を承認するものなるが故に、大に人の他に對する義務の量を輕减す。然るに武士道は家門と族人との利害を以て、一にして分つべからざるものとなし、此利害は愛情と結びて、自然なり、本能性なり、又た避くべからざるものなりとす。されば人若し我が自然の愛(禽獸すら猶ほ是れあり)を以て愛するものゝ爲に死すとも、何かあらん。經に曰はずや、『爾曹己を愛する者を愛するは、何の報酬かあらん、稅吏も然かせざらんや』と。
新字:唯だ其声の、此には目に見ゆる天使より下り、彼には目に見えざる天使より来り、此れは肉の耳に聞き、彼れは心の耳に徹したるの差あるのみ。嗚呼、然りと雖予は説教者の口吻に倣ふことを止めん。西洋の個人主義は、父子、夫婦の間にも、利害の分離を承認するものなるが故に、大に人の他に対する義務の量を軽减す。然るに武士道は家門と族人との利害を以て、一にして分つべからざるものとなし、此利害は愛情と結びて、自然なり、本能性なり、又た避くべからざるものなりとす。されば人若し我が自然の愛(禽獣すら猶ほ是れあり)を以て愛するものゝ為に死すとも、何かあらん。経に曰はずや、『爾曹己を愛する者を愛するは、何の報酬かあらん、税吏も然かせざらんや』と。
書き下し
ただ其声の、此には目に見ゆる天使より下り、彼には目に見えざる天使より来り、此れは肉の耳に聞き、彼れは心の耳に徹したるの差あるのみ。嗚呼、然りと雖、予は説教者の口吻に倣ふことを止めん。西洋の個人主義は、父子、夫婦の間にも利害の分離を承認するものなるが故に、大に人の他に対する義務の量を軽減す。然るに武士道は、家門と族人との利害を以て、一にして分つべからざるものとなし、此利害は愛情と結びて、自然なり、本能性なり、又た避くべからざるものなりとす。されば人もし我が自然の愛(禽獣すらなお是れあり)を以て愛するものの為に死すとも、何かあらん。経に曰はずや、『なんぢら己を愛する者を愛するは、何の報酬かあらん。税吏も然かせざらんや』と。
現代語訳
ただその声が、こちらでは目に見える天使から下り、あちらでは目に見えない天使から来た、こちらは肉の耳に聞き、あちらは心の耳に届いた、という違いがあるだけです。ああ、そうは言っても、私は説教者の口ぶりを真似るのはやめましょう。西洋の個人主義は、父子や夫婦の間にも利害の分離を認めるものですから、人が他人に対して負う義務の量を大いに軽減します。ところが武士道は、家と一族の利害を一つで分けられないものとし、この利害は愛情と結びついて、自然であり本能であり、また避けられないものだとします。ですから人が、自分の自然の愛、獣にすらあるその愛によって愛する者のために死んだとしても、何ほどのことでしょう。聖書にこうあるではありませんか。あなたがたが自分を愛する者を愛したとて、何の報いがあろうか。取税人でさえそうするではないか、と。
解説

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