武士道 / 第九章 忠節・寺子屋の身代わり
道眞は嫉妬讒誣の餌となり、都を逐はれて流人の身となりけるが、情を知らぬ敵は、斯くても尙ほ娶かず、其一族をも擧げて亡はんと、一子菅秀才の幼かりけるを酷しく詮義して道道の舊臣武部源藏が芹生の里の寺小屋に匿ひ置くを探り出し、首打つて渡せとの嚴命に、源藏も今は是非に及ばず承引なしたる心は、夥多ある寺子の中、孰れなりとも御身代りと思ふて歸る家の內、あれか、これかと見渡せど、玉簾の中の誕生と、薦垂の中に育つたとは似ても似つかず。主運の末の悲しさを歎き悶ゆる折も折とて、器量賤しからぬ母親に連れられて、寺入賴む小兒あり。見るに腐たき幼兒の、養君の御年恰好なり。幼君と幼臣、其面差の紛ふばかりなるは、母固より之を知り、子も亦た知れり。
新字:道真は嫉妬讒誣の餌となり、都を逐はれて流人の身となりけるが、情を知らぬ敵は、斯くても尚ほ娶かず、其一族をも挙げて亡はんと、一子菅秀才の幼かりけるを酷しく詮義して道道の旧臣武部源蔵が芹生の里の寺小屋に匿ひ置くを探り出し、首打つて渡せとの厳命に、源蔵も今は是非に及ばず承引なしたる心は、夥多ある寺子の中、孰れなりとも御身代りと思ふて帰る家の内、あれか、これかと見渡せど、玉簾の中の誕生と、薦垂の中に育つたとは似ても似つかず。主運の末の悲しさを嘆き悶ゆる折も折とて、器量賤しからぬ母親に連れられて、寺入頼む小児あり。見るに腐たき幼児の、養君の御年恰好なり。幼君と幼臣、其面差の紛ふばかりなるは、母固より之を知り、子も亦た知れり。
書き下し
道真は嫉妬讒誣の餌となり、都を逐はれて流人の身となりけるが、情を知らぬ敵は、かくても、なお飽かず、其一族をも挙げて亡はんと、一子菅秀才の幼かりけるを厳しく詮議して、道真の旧臣、武部源蔵が芹生の里の寺子屋に匿ひ置くを探り出し、首打つて渡せとの厳命に、源蔵も今は是非に及ばず承引なしたる心は、あまたある寺子の中、いづれなりとも御身代りと思ふて帰る家の内、あれか、これかと見渡せど、玉簾の中の誕生と、薦垂の中に育つたとは似ても似つかず。主運の末の悲しさを歎き悶ゆる折も折とて、器量賤しからぬ母親に連れられて、寺入頼む小児あり。見るに憎からぬ幼児の、養君の御年恰好なり。幼君と幼臣、其面差の紛ふばかりなるは、母もとより之を知り、子も亦た知れり。
現代語訳
道真は嫉妬と讒言の餌食となり、都を追われて流人の身となりましたが、情を知らない敵はそれでも飽き足らず、その一族まで滅ぼそうと、幼い一子の菅秀才を厳しく詮議し、道真の旧臣である武部源蔵が芹生の里の寺子屋にかくまっているのを探り出して、首を打って渡せと厳命しました。源蔵も今はやむを得ず承知しましたが、その心は、大勢いる寺子の中の誰でもよいから身代わりにと思って帰った家の中で、あれかこれかと見渡しても、玉の簾の中で生まれた子と、粗末な家で育った子とは似ても似つきません。主家の運の末の悲しさを嘆き悶えるちょうどそのとき、品のよい母親に連れられて寺入りを頼む子がありました。見ると憎からぬ幼児で、養い君と同じ年ごろです。幼君と幼臣、その顔立ちが見分けられないほど似ているのを、母はもとより知っており、子もまた知っていました。
解説

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