武士道 / 第八章 名譽・少年を教うるに先ず廉恥を
名譽の念には、人の威嚴價値に關する明白なる自覺の存するが故に、此念は彼の生れながらにして、己が門地に伴ふ義務と權限とを重んずることを知り、且又た此れが教養を受けたる武士の特質たらずんばあらず。『名譽』とは現時の通語にして、往時多くは同義を現すに、『名』、『面目』、『外聞』等の語を以てしたりき。此等の文字は各人をして、聖書の『ネーム』(名)、希臘語の假面なる字より出でたる『ペルソナリチー』(人格)、又たは『フエーム』(名聞)を想起せしむるものあり。令名は人の體面なり、我に備はれる不滅のものなり。此れ無くんば人は禽獸なり、此れを毀損するは耻辱なりとしたり。故に少年を教ふるに、先づ廉耻を養ふことを以てせり。
新字:名誉の念には、人の威厳価値に関する明白なる自覚の存するが故に、此念は彼の生れながらにして、己が門地に伴ふ義務と権限とを重んずることを知り、且又た此れが教養を受けたる武士の特質たらずんばあらず。『名誉』とは現時の通語にして、往時多くは同義を現すに、『名』、『面目』、『外聞』等の語を以てしたりき。此等の文字は各人をして、聖書の『ネーム』(名)、希臘語の仮面なる字より出でたる『ペルソナリチー』(人格)、又たは『フエーム』(名聞)を想起せしむるものあり。令名は人の体面なり、我に備はれる不滅のものなり。此れ無くんば人は禽獣なり、此れを毀損するは耻辱なりとしたり。故に少年を教ふるに、先づ廉耻を養ふことを以てせり。
書き下し
名誉の念には、人の威厳価値に関する明白なる自覚の存するが故に、此念は彼の生れながらにして、己が門地に伴ふ義務と権限とを重んずることを知り、且又た此れが教養を受けたる武士の特質たらずんばあらず。『名誉』とは現時の通語にして、往時多くは同義を現すに、『名』『面目』『外聞』等の語を以てしたりき。此等の文字は各人をして、聖書の『ネーム』、希臘語の仮面なる字より出でたる『パーソナリティー』、又たは『フェーム』を想起せしむるものあり。令名は人の体面なり、我に備はれる不滅のものなり。此れ無くんば人は禽獣なり、此れを毀損するは恥辱なりとしたり。故に少年を教ふるに、先づ廉恥を養ふことを以てせり。
現代語訳
名誉の念には、人の威厳と価値についての明白な自覚があるので、この念は、生まれながらに自分の家柄に伴う義務と権限を重んじることを知り、その教養を受けた武士の特質でなければなりません。名誉とは今の言葉であって、昔は多く同じ意味を表すのに、名、面目、外聞といった語を用いました。これらの語はそれぞれ、聖書のネーム、ギリシャ語の仮面という字から出たパーソナリティー、あるいはフェームを思い起こさせるものがあります。よい名は人の体面であり、自分に備わった不滅のものです。これがなければ人は獣であり、これを傷つけるのは恥辱だとしました。ですから少年を教えるのに、まず恥を知る心を養うことから始めたのです。
解説

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