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武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・武夫の鶯きいて立ちにけり

また十四五日過ごして後、武夫の鶯きいて立ちにけり。三度にいたりて、自然この秀逸を得たりしかば大星は手を打ちてよろこび、鳴呼感ずべし、この名吟、實に文武の兩道を兼ねたるものとは、この人ならんと賞めたりけり。(いろは文庫)彼の短命詩人ケルネルが戰塲に傷ついて、『絕命詩』を賦したるの壯烈事は、吾人の感歎景慕する所なり。然るに、斯の如きは、我國古來の戰に於て决して稀なりとせず。特に和歌俳諧の簡潔にして適勁なる、物に觸れ、事に感じて咄嗟の間、其興趣を寓するに甚だ可なるものあり。されば苟も多少の文藻あるものゝ、詩歌を詠じ、俳諧を弄せざるは無かりき。戰塲に馳する武夫のしばし駒を止めて、矢立取り出し、歌を書きつらぬるもあれば、如意輪堂の扉に、梓弓引きて返へらじの誓を殘せし忠臣もあり。

新字:また十四五日過ごして後、武夫の鶯きいて立ちにけり。三度にいたりて、自然この秀逸を得たりしかば大星は手を打ちてよろこび、鳴呼感ずべし、この名吟、実に文武の両道を兼ねたるものとは、この人ならんと賞めたりけり。(いろは文庫)彼の短命詩人ケルネルが戦塲に傷ついて、『絶命詩』を賦したるの壮烈事は、吾人の感嘆景慕する所なり。然るに、斯の如きは、我国古来の戦に於て決して稀なりとせず。特に和歌俳諧の簡潔にして適勁なる、物に触れ、事に感じて咄嗟の間、其興趣を寓するに甚だ可なるものあり。されば苟も多少の文藻あるものゝ、詩歌を詠じ、俳諧を弄せざるは無かりき。戦塲に馳する武夫のしばし駒を止めて、矢立取り出し、歌を書きつらぬるもあれば、如意輪堂の扉に、梓弓引きて返へらじの誓を残せし忠臣もあり。

書き下し

また十四五日過ごして後、『武夫の鶯きいて立ちにけり』。三度にいたりて、自然この秀逸を得たりしかば、大星は手を打ちてよろこび、嗚呼、感ずべし、この名吟、実に文武の両道を兼ねたるものとは、この人ならんと賞めたりけり。(いろは文庫)彼の短命詩人ケルナーが、戦場に傷ついて『絶命詩』を賦したるの壮烈事は、吾人の感歎景慕する所なり。然るに、かくの如きは、我国古来の戦に於て決して稀なりとせず。特に和歌俳諧の簡潔にして適勁なる、物に触れ、事に感じて咄嗟の間、其興趣を寓するに甚だ可なるものあり。されば、いやしくも多少の文藻あるものの、詩歌を詠じ、俳諧を弄せざるは無かりき。戦場に馳する武夫の、しばし駒を止めて、矢立取り出し、歌を書きつらぬるもあれば、如意輪堂の扉に、梓弓引きて返へらじの誓を残せし忠臣もあり。

現代語訳

また十四、五日過ごした後、武士が鶯の声を聞いて立ち去った、という句ができました。三度目にして自然とこの秀逸な句を得たので、大星は手を打って喜び、ああ、感じ入ることだ、この名句こそ、実に文武の両道を兼ねた人のものだろう、と褒めました。あの短命の詩人ケルナーが戦場で傷つき絶命の詩を作ったという壮烈な話は、私たちが感嘆し慕うところです。しかしこういうことは、わが国の古来の戦において決して稀ではありません。とくに和歌や俳諧は簡潔で強く、物に触れ事に感じて、とっさの間にその趣を託すのに大変適しています。ですから、少しでも文の素養がある者で、詩歌を詠み俳諧を作らない者はありませんでした。戦場へ駆ける武士が、しばし馬を止めて矢立を取り出し、歌を書き連ねることもあれば、如意輪堂の扉に、弓を引いて帰らないという誓いを残した忠臣もありました。

解説

粗忽な武士が三度目に得た句が示されます。武士が鶯の声を聞いて立ち去った。討ち入りを前にした男が鶯に足を止め、そして去る。急く気性が静まったことが、句そのもので証明されています。如意輪堂の扉の話は楠木正行が四條畷へ向かう前に矢じりで辞世を刻んだ逸話で、戦の直前に歌を残す習いが実例で示されます。感情を形にする訓練が、いざというときの落ち着きを生むという章です。

この章句が説くこと

俳諧修養静心辞世文武

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