武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・詩歌と音楽が慈悲を禁じ得ざらしむ
勅選に一首を留めて、西海に沒落したる勇士あれば、又た戰場の露と消えにし益荒雄の、主無き兜鎧の胸當に詠草を藏めたるあり。實にや優にやさしきは我國武夫の習なりけり。武士をして暗たる兵革の世、慘たる修羅の巷にありて、尙ほ且つ慈悲と哀憐の情とを禁ずる能はざらしめたるもの、歐洲に在りては即ち基督教なり。而して日本に在りては、實に詩歌と音樂との嗜好に俟てり。凡そ優雅の情感を切にするは、他の痛苦を察するの念を養ふ所以にして、人の感情を想ふによりて生ずる辭讓慇懃の心は、即ち『禮儀』の本を成すものなり。第六章
新字:勅選に一首を留めて、西海に没落したる勇士あれば、又た戦場の露と消えにし益荒雄の、主無き兜鎧の胸当に詠草を蔵めたるあり。実にや優にやさしきは我国武夫の習なりけり。武士をして暗たる兵革の世、惨たる修羅の巷にありて、尚ほ且つ慈悲と哀憐の情とを禁ずる能はざらしめたるもの、欧洲に在りては即ち基督教なり。而して日本に在りては、実に詩歌と音楽との嗜好に俟てり。凡そ優雅の情感を切にするは、他の痛苦を察するの念を養ふ所以にして、人の感情を想ふによりて生ずる辞譲慇懃の心は、即ち『礼儀』の本を成すものなり。第六章
書き下し
勅選に一首を留めて、西海に没落したる勇士あれば、又た戦場の露と消えにし益荒男の、主無き兜鎧の胸当に詠草を蔵めたるあり。実にや、優にやさしきは我国武夫の習なりけり。武士をして、暗たる兵革の世、惨たる修羅の巷にありて、なお且つ慈悲と哀憐の情とを禁ずる能はざらしめたるもの、欧洲に在りては即ち基督教なり。而して日本に在りては、実に詩歌と音楽との嗜好に俟てり。凡そ優雅の情感を切にするは、他の痛苦を察するの念を養ふ所以にして、人の感情を想ふによりて生ずる辞譲慇懃の心は、即ち『礼儀』の本を成すものなり。
現代語訳
勅撰集に一首を留めて西の海に沈んだ勇士もあれば、戦場の露と消えた益荒男の、主を失った鎧の胸当てに詠草が納められていたこともあります。まことに優雅で優しいのがわが国の武士の習いでした。武士に、暗い戦乱の世、惨たらしい修羅の巷にあって、なお慈悲と哀れみの情を抑えられなくさせたもの。ヨーロッパにおいてはキリスト教です。そして日本においては、実に詩歌と音楽の嗜みによるものでした。およそ優雅な感情を深くすることは、他人の痛みを察する心を養う道であり、人の感情を思うことから生まれる、譲り丁寧にする心が、すなわち礼儀の本を成すのです。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・アルカディアの音楽却つて是れ、噌々切々たる琵琶の音の、猛き心を和げ、思を腥風血雨の外に馳せしむるものなりき。希臘の史家ポリビオスの伝ふる所によれば、往古アルカディアに於ては、其厳慄なる風土の、峻峭なる性情を賦与するを融和せんが為、国法として三十歳以上の男子に課するに音楽を以てしたりと云ふ。而して史家は、彼の荒涼なるアルカディア山国の人民の、能く残忍の性より免れたる所以のものは、ひとへに此れを音楽の賜なりとせり。凡そ我国到る処として、武士を教ふるに温雅の質、優美の性を以てせざるは無かりき。薩藩の如きは、わずかに其一例たるに過ぎず。白河楽翁公の、心に映るままを、そこはかと無く婉なる筆に記したるが中に云へることあり、『枕に通ふとも、咎無きものは、花の香、遠寺の鐘、霜夜の虫の音は殊に哀れなり』と。
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