武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・猛き武夫の心をも和ぐるは歌
又た曰く、『憎くとも宥るすべきは花の風、月の雲、うちつけに爭ふ人は、ゆるすのみかは』と。かゝる婉雅の藻思を外に現はし、且つは之を培はんが爲、武士の間にも亦た詩歌を奬勵したるより、從つて我國の詩歌には、悲壯、優雅兼ね至り、藹然として楮墨に溢るゝを見る。實に猛き武夫の心をも和ぐるは歌なりけり。粗剛の一武夫の物語とて、世に傳へらるゝもの、狂言綺語の末ながら、尙ほ能く此間の消息を云ひ得て詳かなり。そも大星の君子の智、よく衆人を精育なし、其人々の氣風によりてこれを教ふる中にしも、大鷲文吾と聞えしは、忠直いはん方なけれど、生れつきての麁忽もの、心氣せわしき生立なりしが、由良之助は文吾にすゝめて、心氣ををさむることをまなぶべしとありければ文吾は天性魯に等しき人なりければ、これを聞き、いかなる業を學びなば、心氣をしづむることあらんとのたづねに應じて、俳諧を學ばれよとぞをしへける。
新字:又た曰く、『憎くとも宥るすべきは花の風、月の雲、うちつけに争ふ人は、ゆるすのみかは』と。かゝる婉雅の藻思を外に現はし、且つは之を培はんが為、武士の間にも亦た詩歌を奨励したるより、従つて我国の詩歌には、悲壮、優雅兼ね至り、藹然として楮墨に溢るゝを見る。実に猛き武夫の心をも和ぐるは歌なりけり。粗剛の一武夫の物語とて、世に伝へらるゝもの、狂言綺語の末ながら、尚ほ能く此間の消息を云ひ得て詳かなり。そも大星の君子の智、よく衆人を精育なし、其人々の気風によりてこれを教ふる中にしも、大鷲文吾と聞えしは、忠直いはん方なけれど、生れつきての麁忽もの、心気せわしき生立なりしが、由良之助は文吾にすゝめて、心気ををさむることをまなぶべしとありければ文吾は天性魯に等しき人なりければ、これを聞き、いかなる業を学びなば、心気をしづむることあらんとのたづねに応じて、俳諧を学ばれよとぞをしへける。
書き下し
又た曰く、『憎くとも宥るすべきは花の風、月の雲、うちつけに争ふ人は、ゆるすのみかは』と。かかる婉雅の藻思を外に現はし、且つは之を培はんが為、武士の間にも亦た詩歌を奨励したるより、従つて我国の詩歌には、悲壮、優雅兼ね至り、藹然として楮墨に溢るるを見る。実に猛き武夫の心をも和ぐるは歌なりけり。粗剛の一武夫の物語とて、世に伝へらるるもの、狂言綺語の末ながら、なお能く此間の消息を云ひ得て詳かなり。そも大星の君子の智、よく衆人を精育なし、其人々の気風によりて、これを教ふる中にしも、大鷲文吾と聞えしは、忠直いはん方なけれど、生れつきての麁忽もの、心気せわしき生立なりしが、由良之助は文吾にすすめて、心気ををさむることをまなぶべしとありければ、文吾は天性魯に等しき人なりければ、これを聞き、いかなる業を学びなば、心気をしづむることあらんとのたづねに応じて、俳諧を学ばれよとぞをしへける。
現代語訳
またこうも言います。憎くても許すべきは花を散らす風、月を隠す雲。まして面と向かって争う人を、許さずにいられようか、と。こうした優雅な詩心を外に表し、またそれを培うために、武士の間でも詩歌が奨励されました。したがってわが国の詩歌には悲壮と優雅が兼ね備わり、和やかに紙と墨に溢れているのが見られます。まことに猛き武士の心をも和らげるのは歌でした。粗く剛い一人の武士の物語として世に伝えられるものは、作り話の末ではありますが、なおこのあたりの事情をよく詳しく語っています。そもそも大星由良之助の賢さは人々をよく育て、それぞれの気風に応じて教える中でも、大鷲文吾という者は、忠直さは言いようもないけれど、生まれつきの粗忽者で、気の急く生い立ちでした。由良之助は文吾に勧めて、気持ちを治めることを学ぶべきだと言ったところ、文吾は生まれつき鈍いような人でしたから、これを聞いて、どんな業を学べば気持ちを静められましょうかと尋ねました。そこで、俳諧を学ばれよ、と教えたのです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『尚武論』・武士道の自然と、歌や学の位置未だ聞かず、不幸を以て之を罪する者有るを。又、池田輝政は其の父を害せんが為に、永井氏厚賞を請ひ、日比半右衛門は其の子を殺さんが為に、米村市之丞之を揄揚するの類、未だ聞かず、天倫を斁ると謗る者有るを。此れ則ち我が邦の武士道なり。他、婦人女子の身を殺して節操を立つる者のごときは、渠等初めより学道の者に非ず。我が邦自然の武士道、自然にして之を識るなり。徂徠曰く、武士道は戦国に創まる、悪習なり、と。闇斎曰く、我が邦に異端有り、所謂武士道是れなり、云云、と。此れ皆儒に僻せる言なり。余故に曰く、我が方の士、宜しく武の文より尊く、忠の孝より尊きを体識すべきなり、と。徐庶たらんよりは、寧ろ趙苞たれ。班固たらんよりは、寧ろ班彪たれ。亦可ならずや。我が邦苟くも武士道無くんば、則ち武士は武士ならざるなり。何ぞ尊ぶべけんや。朝廷縉紳家、倭歌を以て我が邦の道と為す。夫れ和歌は素盞烏尊に創まり、連歌は日本武命に基づく。二神は固より此れを以て道と為す者に非ず、仮りて以て志を述ぶるのみ。今の学者、学を以て詩歌を為すは可なり。詩歌を以て学と為すは、大いに不可なり。人麻呂・赤人、世に歌聖を以て之を称す。二人は均しく文人なり。固より道を知る者に非ず。予を以て之を観れば、則ち李杜の亜のみ。我が邦の道とする所は武に在り、歌に在らざるなり。孔子嘗て曰く、桴に乗りて海に浮かばん、と。又曰く、九夷に居らんと欲す、と。豈に我が邦に取る所有るか。其の取る所は果たして武に在るなり。白石先生は京師の風を以て江戸に易へんと欲し、徂徠先生は西土の風を以て日本を化せんと欲す。倶に我が邦の善の世界に冠たる者有るを知らざるなり。易に曰く、爾の霊亀を舎てて、我が朶頤を観る、と。二先生に有り。我が邦の武は、弓馬を以て重しと為す。故に武士を弓執と曰ひ、弓馬家と曰ふ。此れ皆古言なり。西土は夷を以て我が邦を称す。説文に曰く、夷の字は大に从ひ弓に从ふ、と。此れ又弓を以て之を称するなり。南蛮北狄の、獣を以て之を称するの類に非ざるなり。陸機の要覧に、我が方の弓を称して東弓と曰ふ。又邦人、武士道を称して弓矢の礼と曰ふは、是が為の故なり。我が邦東北の士、最も弓馬に善し。是を以て東北の武勇、特に天下に秀づ。武田・長尾の武を以て顕るるは、弓馬を以てなり。武士は宜しく馬に乗り弓を執り、古実を失はざるべきなり。聖人は詩書礼楽を以て教へと為す。予を以て之を観れば、我が邦の万葉・古今集は、猶ほ彼の方の詩のごとし。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・アルカディアの音楽却つて是れ、噌々切々たる琵琶の音の、猛き心を和げ、思を腥風血雨の外に馳せしむるものなりき。希臘の史家ポリビオスの伝ふる所によれば、往古アルカディアに於ては、其厳慄なる風土の、峻峭なる性情を賦与するを融和せんが為、国法として三十歳以上の男子に課するに音楽を以てしたりと云ふ。而して史家は、彼の荒涼なるアルカディア山国の人民の、能く残忍の性より免れたる所以のものは、ひとへに此れを音楽の賜なりとせり。凡そ我国到る処として、武士を教ふるに温雅の質、優美の性を以てせざるは無かりき。薩藩の如きは、わずかに其一例たるに過ぎず。白河楽翁公の、心に映るままを、そこはかと無く婉なる筆に記したるが中に云へることあり、『枕に通ふとも、咎無きものは、花の香、遠寺の鐘、霜夜の虫の音は殊に哀れなり』と。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・窮鳥懐に入る然り、夫れ或は然らん。されど柔和、慈悲、仁愛は、武士の惨慄なる軍功を美化するの特質なりしことは、亦た此れに由りて知るを得べし。古語に曰く、『窮鳥懐に入る時は、猟夫も之を殺さず』と謂へるが、此一語は、彼の特に基督教徒の事業なりと思惟せられたる赤十字の、我国に其根脚を確立せる所以を説明するものにあらずや。吾人は、ジュネーブ同盟条約を耳にするに先だつ数十年、既に大小説家馬琴よりして、しばしば敵の傷者を医療するの物語を聞けり。由来武断の気質に富み、其訓育に秀でたるを以て聞こえし薩藩にては、若殿原の間に音楽を嗜むの風行はれたり。其楽とは、鉦鼓殺伐の声にも非らず、シェイクスピアの所謂『血と死との囂しき前駆』の、吾人を刺励して豺狼の行為を学ばしむるものにもあらず。