武士道 / 第三章 正義・義理は義務を謂うに外ならず
然り、義務とは即ち義しき道理の要求命令するものカテゴリカル、インペラチーヴに非らざる無き乎。義しき道理とは、人に於ける無上命令たるべきものにあらずや。義理とは原、義務を謂ふに外ならざりき。而して此字義の由來する所を料るに、其故あり。人の行爲、例せば、父母に奉事するが如き、一に愛を以て動機とすべきものなるに、若し之を缺かん乎、乃ち他の權能の能く人をして孝ならしむべきもの無くんばあるべからず。是に於て乎、世は乃ち義理に於て其權能を作爲せり。愛の自から德行に馳すること無くんば、乃ち人の知能に訴へ、其理性を勵まして、行正しきを要することを曉らしめざるべからず。されば義理の權能の形成せられたる良に以ありと謂ふべし。
新字:然り、義務とは即ち義しき道理の要求命令するものカテゴリカル、インペラチーヴに非らざる無き乎。義しき道理とは、人に於ける無上命令たるべきものにあらずや。義理とは原、義務を謂ふに外ならざりき。而して此字義の由来する所を料るに、其故あり。人の行為、例せば、父母に奉事するが如き、一に愛を以て動機とすべきものなるに、若し之を欠かん乎、乃ち他の権能の能く人をして孝ならしむべきもの無くんばあるべからず。是に於て乎、世は乃ち義理に於て其権能を作為せり。愛の自から徳行に馳すること無くんば、乃ち人の知能に訴へ、其理性を励まして、行正しきを要することを暁らしめざるべからず。されば義理の権能の形成せられたる良に以ありと謂ふべし。
書き下し
然り、義務とは即ち義しき道理の要求命令するもの、カテゴリカル・インペラティーヴに非らざる無きか。義しき道理とは、人に於ける無上命令たるべきものにあらずや。義理とは原、義務を謂ふに外ならざりき。而して此字義の由来する所を料るに、其故あり。人の行為、例せば、父母に奉事するが如き、一に愛を以て動機とすべきものなるに、もし之を欠かんか、乃ち他の権能の、能く人をして孝ならしむべきもの無くんばあるべからず。是に於てか、世は乃ち義理に於て其権能を作為せり。愛の自から徳行に馳すること無くんば、乃ち人の知能に訴へ、其理性を励まして、行正しきを要することを暁らしめざるべからず。されば義理の権能の形成せられたる、まことに以ありと謂ふべし。
現代語訳
そうです、義務とは義しい道理が要求し命令するもの、すなわち定言命法ではないでしょうか。義しい道理とは、人にとっての最高の命令であるべきものではないでしょうか。義理とはもともと義務を言うほかありませんでした。この字の意味の由来を考えれば、そこには理由があります。人の行い、たとえば父母に仕えるようなことは、ひとえに愛を動機とするべきものですが、もしそれが欠けたなら、他に人を孝行にさせる権威がなければなりません。そこで世間は義理にその権威を作り出したのです。愛が自然に徳の行いへ向かわないなら、人の知能に訴え、その理性を励まして、行いが正しくあるべきことを分からせなければなりません。ですから義理の権威が形成されたのには、まことに理由があると言うべきです。
解説

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