武士道 / 第一章 武士道の倫理系・懦夫弱輩は自から排斥せられ
更に時代の近き比較を擧ぐれば、歐洲中世紀史に現れたる、ミリテス、メデイ』(militesmedii)に類す。我國にては、又た普ね此れに漢字を宛てゝ『武家』『武士』と稱し、『ものヽふ』、『物部は、古來の雅名なり。抑も武士とは、特權ある階級の人にして、元、是れ爭鬪攻伐を事としたる慓悍殊死の徒なりき爭亂久しく絕ゆること無かりし世に至りて、兵農是一なりし、上代の制度自から廢れ、勇猛膽大の徒は、犁鋤を投じて、弓矢を執り、行伍に列したり。而も其間亦た淘汰の行はるゝありて、懦夫弱輩は自から排斥せられ、エマソンの語を借りて云へば、『膂力勇敢、剛膽不敵なる粗野漢』のみ適存して、遂に『さむらひ』なる一種の門族階級を成したり。
新字:更に時代の近き比較を挙ぐれば、欧洲中世紀史に現れたる、ミリテス、メデイ』(militesmedii)に類す。我国にては、又た普ね此れに漢字を宛てゝ『武家』『武士』と称し、『ものヽふ』、『物部は、古来の雅名なり。抑も武士とは、特権ある階級の人にして、元、是れ争鬪攻伐を事としたる慓悍殊死の徒なりき争乱久しく絶ゆること無かりし世に至りて、兵農是一なりし、上代の制度自から廃れ、勇猛胆大の徒は、犁鋤を投じて、弓矢を執り、行伍に列したり。而も其間亦た淘汰の行はるゝありて、懦夫弱輩は自から排斥せられ、エマソンの語を借りて云へば、『膂力勇敢、剛胆不敵なる粗野漢』のみ適存して、遂に『さむらひ』なる一種の門族階級を成したり。
書き下し
更に時代の近き比較を挙ぐれば、欧洲中世紀史に現れたる「ミリテス・メディイ」(milites medii)に類す。我国にては、又たあまねく此れに漢字を宛てて『武家』『武士』と称し、『もののふ』『物部』は、古来の雅名なり。抑も武士とは、特権ある階級の人にして、元、是れ争闘攻伐を事としたる慓悍殊死の徒なりき。争乱久しく絶ゆること無かりし世に至りて、兵農これ一なりし上代の制度、自から廃れ、勇猛胆大の徒は、犁鋤を投じて弓矢を執り、行伍に列したり。而も其間亦た淘汰の行はるるありて、懦夫弱輩は自から排斥せられ、エマソンの語を借りて云へば、『膂力勇敢、剛胆不敵なる粗野漢』のみ適存して、遂に『さむらひ』なる一種の門族階級を成したり。
現代語訳
さらに時代の近い比較を挙げれば、ヨーロッパ中世史に現れるミリテス・メディイに似ています。わが国では、また広くこれに漢字を当てて武家、武士と称し、もののふ、物部は古来の雅名です。もともと武士とは特権のある階級の人で、元は争いと攻め合いを仕事とした、荒々しく命を捨てる者たちでした。争乱が長く絶えない世になって、兵と農が一つであった上代の制度がおのずと廃れ、勇猛で胆の大きい者たちは鋤を投げ捨てて弓矢を執り、隊列に並びました。しかもその間にも淘汰が行われ、臆病で弱い者はおのずと排斥され、エマソンの言葉を借りれば、腕力があり勇敢で、胆が太く敵に屈しない粗野な者だけが生き残って、ついに、さむらいという一種の家柄の階級を成したのです。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・さむらひは家来の意である然るに英国に於ては、ウィリアム(征服王)以前、既に久しく封建社会の要素の存在せるを認め、日本封建も亦た必ずしも鎌倉時代を待つて初めて播種せられたるものにあらず。欧洲に於けるも亦た日本に於けるも、封建制度の確立せらるるや、即ち武門武士なるもの、自から頭角を露はし来れり。此輩を称して「さむらひ・侍」と云ふは、字義より推すに、上古の英国に於ける「クニヒト」(cniht, knecht, knight)に等しく、家来又は侍臣の謂にして、其地位たる、大シーザーの書に、アキタニアに在りたりと記せる「ソルドゥリイ」(soldurii)若くは、タキトゥスの古史に散見せる、彼が時世の独逸種族の酋長に隷属したりし「コミタチ」(comitati)と相似たり。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・喧嘩なら堂々とやれかくて彼等は多大の名誉と特権との寵遇を受くると共に、又た多大の責任あるを自覚し、乃ち各自の態度行為を律すべき規準法度を要とするに至れり。いわんや彼等の干戈を交へ、矢石の間に見ゆるを常とせしより、其要を感ずること、更に深甚なるものありしをや。たとへば医士が其徳義たる医戒を守りて、競争に制限を置き、状師もし同業の徳義を破らんか、自から名誉の法廷に被告たらざるべからざるが如く、武士にして、もし悖徳不義の行跡を敢てするものあらば、之に対して必ずや最後の制裁を下すべき権能を欠くべからざるものなりとしたり。喧嘩なら堂々とやれ。此の蛮野幼稚なる原始的観念の裡、大に壮剛なる道義の萌芽を含み、且つ凡て文徳武徳の根帯を成すものにあらざるなきか。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・武士道は騎士制度より深い日本語にて武士道と謂ふものは、英語のシヴァリー即ち騎士制度と云ふよりも、意義の更に深きものあり。乃ち武士が、日常の生活動作に於て、又た其職分を尽すに於て、共に守るべき道にして、要言せば即ち武門の教訓なり、武人階級ノブレス・オブリージュに伴ふ尊貴の責務なり。されば此字の如きは、之を他国の語に訳して妥当なる能はず。夫れ我武士道の如くに、自から範囲あり、又た比匹を見ずして、特殊なり、邦土的なる心性品格を生ぜる教訓は、此れが特性を標榜すべき名目なからざるべからず。或る文字は、之に伴ふ国調ありて人種的特質を帯び、熟達なる訳者の妙筆も之を訳するに於て、たとひ全然誤謬失当に陥ることなしとすとも、なお其正を得るに難し。誰か独逸語のゲミュート(心気精神の義)を訳して、其意義を精からしむることを得るものぞ。
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『武士道』第二章 武士道の淵源・十六世紀に最高度に発展した慧眼なる仏国碩学メール氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を総説して曰はく、第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社会も、宗教も共に混乱の状態に陥りたり。然りと雖、争乱紛擾止む時なく、社会の情態は蛮野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして、彼等はテーヌが『勇敢なる起手、決意断行の習性、堅忍敢為の襟度』と賛せる、第十六世紀の伊太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに伊太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、『中世紀の粗野なる状勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絶非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に発展し、其性情、心念亦た同時にすこぶる多方に伸張したり。
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