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孟子 / 公孫丑章句下

四方者、幾千人矣。曰、此非距心之所得為也。曰、今有受人之牛羊而為之牧之者、則必為之求牧與芻矣。求牧與芻而不得、則反諸其人乎。抑亦立而視其死與。曰、此則距心之罪也。他日、見於王曰、王之為都者、臣知五人焉。知其罪者、惟孔距心。為王誦之。王曰、此則寡人之罪也。

新字:四方者、幾千人矣。曰、此非距心之所得為也。曰、今有受人之牛羊而為之牧之者、則必為之求牧与芻矣。求牧与芻而不得、則反諸其人乎。抑亦立而視其死与。曰、此則距心之罪也。他日、見於王曰、王之為都者、臣知五人焉。知其罪者、惟孔距心。為王誦之。王曰、此則寡人之罪也。

書き下し

孟子、平陸に之き、其の大夫に謂いて曰く、「子の持戟の士、一日にして、三たび伍を失わば、則ち之を去るや否や。」曰く、「三たびを待たず。」「然らば則ち子の伍を失うや亦た多し。凶年饑歲には、子の民、老羸は溝壑に轉じ、壯者の散りて四方に之く者、幾千人ぞ。」曰く、「此れ距心の為すを得る所に非ざるなり。」曰く、「今、人の牛羊を受けて之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦た立ちて其の死を視んか。」曰く、「此れ則ち距心の罪なり。」他日、王に見えて曰く、「王の都を為むる者、臣、五人を知れり。其の罪を知る者は、惟だ孔距心のみ。」王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり。」

現代語訳

孟子が齊の平陸の町に行ったとき、そこの代官に言った、 「あなたの部下の戟を持って戰う兵士が、五人一組の隊列を一日に三度も乱したとしたら、あなたは、その兵士を殺しますか。」 「三度まで待ちません。」 「それならば、あなたも官吏としての隊列から離れて、職務を果たしていないことが沢山ありますよ。凶作飢饉の歳には、王様の人民で、老幼の弱者は、溝や谷間に転がり落ちて死に、壮年の者は家を棄て食を求めて四方に行く者が数千人もおるではありませんか。」 「それは私などではどうすることもできない事です。」 「今、かりに牛や羊を預かって世話をしようとしている者がいるとしたら、その者は必ず牧場と牧草とを求めるでしょう。ところがいくら探しても得ることが出来なければ、あなたはこの牛や羊を返しますか、それとも、何もせずに死んでいくのをじっと眺めていますか。」 「わかりました。先ほどの話は私の責任です。」 後日、孟子は王にお目にかかって、 「王様の都を治めている者を私は五人知っていますが、自分の責任を心得ている者は、孔距心だけでございます。」 と言い、王様に距心との会話をそっくり語った。王はそれを聞いて言った、 「距心が悪いのではない、それは私の責任だ。」孟子之平陸、謂其大夫曰、子之持戟之士、一日而三失伍、則去之否乎。曰、不待三。然則子之失伍也亦多矣。凶年饑歲、子之民、老羸轉於溝壑、壯者散而之

解説

リーダーや管理職に就く者は、部下の失敗を厳しく咎める前に、まず自分自身がその職務や責任を十分に果たしているかを問い直す必要があります。組織の中で問題が起きたとき、それを自分以外の要因や環境のせいにするのは簡単ですが、それでは状況は改善しません。自らの立場に伴う責任を深く自覚し、期待に応えられないと判断したならば、潔くその責任を認める誠実さが求められます。日々の仕事において、自分の役割を全うできているか常に反省しましょう。

この一句を、あなたの毎日に。

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