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武事提要 / 流儀之傳來・尾畑景憲の著作と山鹿高祐の出自

村上庄次郎、杉山八藏一廉可取立候、其方事は不及申事也、此段殿樣御諚と書て、二月廿八日、尾畑勘兵衞殿大野主馬と書たり、大方此趣也、此書神君上覽被遊、尾畑と云字上方衆不知して如此歟、是主馬自筆と相見たりと上意也、自是景憲尾畑の字を用ひたり、景憲山本流を傳來して、末書九冊結要九冊、これ古來よりの傳を述る也、三品(龍虎豹)三冊皆景憲の作書也、景憲武の志深厚なると世以て可稱之也、其質專質朴にして勇暴なりといへども、此人にあらずして此傳來世に可絶を、景憲の志によつて世に廣く此流儀を翫ぶ、是又敎習に志ありし人は可比類なき也、其後前集後集(私之小鏡共言之也、)寒到來、暑到來、彼卷、此卷、武備軍要等を述、且紀州大納言頼宣公依望、神君の弓矢信玄に比類させたまふの趣を記して、中興源記(內篇四册有之外篇二册有之)全篇を述と言傳也、北條氏長氏長は御當家御直參にして祿二千石也、氏長亦景憲の傳來を詳に傳受して、猶又敎を當世に爲令廣、雌鑑全部四十二冊、雄鑑全部五十二冊、述作有之、而外に微妙至善之卷二冊有之、此後に至述士鑑用法一冊、此分氏長門人へ傳來せし書物也、山鹿高祐高祐は藤姓山鹿氏也、先祖筑前山鹿之城主山鹿兵藤次秀遠也、高祐は生國東奧會津也、自六歲浸志於文學、

新字:村上庄次郎、杉山八蔵一廉可取立候、其方事は不及申事也、此段殿様御諚と書て、二月廿八日、尾畑勘兵衛殿大野主馬と書たり、大方此趣也、此書神君上覧被遊、尾畑と云字上方衆不知して如此歟、是主馬自筆と相見たりと上意也、自是景憲尾畑の字を用ひたり、景憲山本流を伝来して、末書九冊結要九冊、これ古来よりの伝を述る也、三品(竜虎豹)三冊皆景憲の作書也、景憲武の志深厚なると世以て可称之也、其質専質朴にして勇暴なりといへども、此人にあらずして此伝来世に可絶を、景憲の志によつて世に広く此流儀を翫ぶ、是又教習に志ありし人は可比類なき也、其後前集後集(私之小鏡共言之也、)寒到来、暑到来、彼巻、此巻、武備軍要等を述、且紀州大納言頼宣公依望、神君の弓矢信玄に比類させたまふの趣を記して、中興源記(内篇四册有之外篇二册有之)全篇を述と言伝也、北条氏長氏長は御当家御直参にして禄二千石也、氏長亦景憲の伝来を詳に伝受して、猶又教を当世に為令広、雌鑑全部四十二冊、雄鑑全部五十二冊、述作有之、而外に微妙至善之巻二冊有之、此後に至述士鑑用法一冊、此分氏長門人へ伝来せし書物也、山鹿高祐高祐は藤姓山鹿氏也、先祖筑前山鹿之城主山鹿兵藤次秀遠也、高祐は生国東奥会津也、自六歳浸志於文学、

書き下し

村上庄次郎、杉山八藏一廉可取立候、其方事は不及申事也、此段殿樣御諚と書て、二月廿八日、尾畑勘兵衞殿大野主馬と書たり、大方此趣也、此書神君上覽被遊、尾畑と云字上方衆不知して如此歟、是主馬自筆と相見たりと上意也、自是景憲尾畑の字を用ひたり、景憲山本流を傳來して、末書九冊結要九冊、これ古來よりの傳を述る也、三品(龍虎豹)三冊皆景憲の作書也、景憲武の志深厚なると世以て可稱之也、其質專質朴にして勇暴なりといへども、此人にあらずして此傳來世に可絶を、景憲の志によつて世に廣く此流儀を翫ぶ、是又敎習に志ありし人は可比類なき也、其後前集後集(私之小鏡共言之也、)寒到來、暑到來、彼卷、此卷、武備軍要等を述、且紀州大納言頼宣公依望、神君の弓矢信玄に比類させたまふの趣を記して、中興源記(內篇四册有之外篇二册有之)全篇を述と言傳也、北條氏長氏長は御當家御直參にして祿二千石也、氏長亦景憲の傳來を詳に傳受して、猶又敎を當世に爲令廣、雌鑑全部四十二冊、雄鑑全部五十二冊、述作有之、而外に微妙至善之卷二冊有之、此後に至述士鑑用法一冊、此分氏長門人へ傳來せし書物也、山鹿高祐高祐は藤姓山鹿氏也、先祖筑前山鹿之城主山鹿兵藤次秀遠也、高祐は生國東奧會津也、自六歲浸志於文學、

現代語訳

「村上庄次郎、杉山八蔵を、ひとかどに取り立てましょう。その方のことは言うに及びません。この段は殿様の御諚です」と書いて、二月二十八日、「尾畑勘兵衛殿 大野主馬」と書いてありました。大方このような趣です。この書を神君が上覧になり、「尾畑という字を、上方衆は知らずにこのように書いたのか。これは主馬の自筆と見える」との上意でした。これより景憲は「尾畑」の字を用いました。景憲は山本流を伝来して、末書九冊、結要九冊を述べました。これは古来よりの伝を述べたものです。三品(龍・虎・豹)の三冊は、みな景憲の作書です。景憲の武の志が深く厚いことを、世は称えるべきです。その質はもっぱら質朴で、勇暴ではあるけれども、この人でなければこの伝来が世に絶えるはずのところを、景憲の志によって世に広くこの流儀が親しまれました。これもまた、教習に志のあった人として比類がありません。その後、前集・後集(「私之小鏡」ともいう)、寒到来、暑到来、彼巻、此巻、武備軍要などを述べ、かつ紀州大納言頼宣公の望みにより、神君の弓矢を信玄に比類させなさる趣を記して、中興源記(内篇四冊、外篇二冊あり)の全篇を述べたと言い伝えます。北条氏長。氏長は御当家の御直参で、禄は二千石です。氏長もまた景憲の伝来を詳しく伝受し、さらに教えを当世に広めるために、雌鑑全部四十二冊、雄鑑全部五十二冊の述作がありました。このほかに、微妙至善の巻二冊があります。この後に至って、士鑑用法一冊を述べました。これらは氏長が門人へ伝えた書物です。山鹿高祐。高祐は藤姓の山鹿氏です。先祖は筑前山鹿の城主、山鹿兵藤次秀遠です。高祐は生国が東奥会津です。六歳より文学に志を浸し、

解説

大野主馬の書状と、それを見た神君の言葉から、景憲が「尾畑」の字を用いるようになった経緯が述べられます。景憲は山本流の伝を書にまとめ、その志によって流儀が世に広まったと評されます。続いて北条氏長の著作と、山鹿高祐の出自が記されます。暗黙のまま消えかねない知恵を、書き残して広めた点が要点です。管理職も、自分の経験やノウハウを文書や手順書にして残すことで、組織の知として引き継げます。一人の頭の中に留めず、形にして伝える責任を考えたい章句です。
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この章句が説くこと

『武事提要』山鹿高恒流儀之伝来尾畑景憲北条氏長著作

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