墨子 / 雜守
升食,終嵗三十六石;參食,終嵗二十四石;四食,終嵗十八石;五食,終嵗十四石升六食,終嵗十二石。升食食五升,參食食三升四食食二升半,五食食二升,六食食一升大半,日再食。救死之時,日二升者二十日,日三升者三十日,日四升者四十日,如是而民免於九十日之約矣。
新字:升食,終歳三十六石;参食,終歳二十四石;四食,終歳十八石;五食,終歳十四石升六食,終歳十二石。升食食五升,参食食三升四食食二升半,五食食二升,六食食一升大半,日再食。救死之時,日二升者二十日,日三升者三十日,日四升者四十日,如是而民免於九十日之約矣。
書き下し
升食は、嵗を終うるに三十六石。參食は、嵗を終うるに二十四石。四食は、嵗を終うるに十八石。五食は、嵗を終うるに十四石升。六食は、嵗を終うるに十二石。升食は五升を食らい、參食は三升を食らい、四食は二升半を食らい、五食は二升を食らい、六食は一升大半を食らう。日に再び食す。死を救うの時、日に二升なる者は二十日、日に三升なる者は三十日、日に四升なる者は四十日。是くの如くして民、九十日の約を免る。
現代語訳
一升食では、一年で三十六石。参食では、一年で二十四石。四食では、一年で十八石。五食では、一年で十四石。六食では、一年で十二石。一升食は一日五升を食べ、参食は三升、四食は二升半、五食は二升、六食は一升と半分を食べる。一日に二度食べる。死を免れる段階では、一日二升なら二十日、三升なら三十日、四升なら四十日もつ。こうすれば民は九十日の窮乏を乗り切れる。
解説
配給の計算表です。一日あたりの量を五段階に分け、それぞれ年間の必要量を石で示す。そして最低限の配給でどれだけもつかを日数で出す。九十日という数字が最後に出てくるのは、そこまで持ちこたえれば救援が期待できるという見立てでしょう。数字で耐久日数を出しておくと、いつまで我慢すればよいかが分かります。終わりの見えない我慢は、続きません。
この章句が説くこと
配給計算耐久日数備蓄
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