墨子 / 迎敵祠
敵以東方來,迎之東壇,壇髙八尺,堂宻八。年八十者八人,主祭青旗。青神長八尺者八,弩八,八發而止。将服必青,其牲以雞。
新字:敵以東方来,迎之東壇,壇高八尺,堂宻八。年八十者八人,主祭青旗。青神長八尺者八,弩八,八発而止。将服必青,其牲以雞。
書き下し
敵、東方を以て來たらば、之を東壇に迎う。壇の髙さ八尺、堂宻八。年八十なる者八人、青旗を主祭す。青神の長さ八尺なる者八、弩八、八たび發して止む。将の服は必ず青、其の牲は雞を以てす。
現代語訳
敵が東の方角から来たら、東に壇を築いて迎える。壇の高さは八尺、堂の間口は八。八十歳の者八人が、青い旗を主として祭る。青い神像は長さ八尺のものを八体、弩は八張、八回射て止める。将の服は必ず青、供える犠牲は鶏を用いる。
解説
迎敵祠篇は、籠城戦を始めるにあたっての儀礼を定めたものです。東は木で青、数は八。五行の対応がそのまま壇の高さ、人数、神像の数、射る回数、将の服の色に及びます。合理を旨とする墨家がこうした儀礼を残しているのは、天と鬼神を尊ぶという墨子の主張と地続きであり、人の心を一つにするための手続きでもありました。
この章句が説くこと
儀礼五行東統一開始
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