墨子 / 備蛾傅
城下足為下説鑱找長五尺,大圉半以上,皆剡其末,為五行,行間廣三尺,貍三尺,大耳樹之。為連殳,長五尺,大十尺。挺長二尺,大六寸,索長二尺。椎,柄長六尺,首長尺五寸。斧,柄長六尺,刃必利,皆其一後。答廣丈二尺,丈六尺,垂前衡四寸,兩端接尺相覆,勿令魚鱗三,著其後行。中央木繩一,長二丈六尺,答樓不㑹者以牒塞,數暴乾,答為格,令風上下。堞惡疑壊者,先貍木十尺一枚一,節壊,植以押慮盧薄於木,盧薄表八尺,廣七寸,經尺一,數施一擊而下之,為上下釫而之。
新字:城下足為下説鑱找長五尺,大圉半以上,皆剡其末,為五行,行間広三尺,貍三尺,大耳樹之。為連殳,長五尺,大十尺。挺長二尺,大六寸,索長二尺。椎,柄長六尺,首長尺五寸。斧,柄長六尺,刃必利,皆其一後。答広丈二尺,丈六尺,垂前衡四寸,両端接尺相覆,勿令魚鱗三,著其後行。中央木縄一,長二丈六尺,答楼不会者以牒塞,数暴乾,答為格,令風上下。堞悪疑壊者,先貍木十尺一枚一,節壊,植以押慮盧薄於木,盧薄表八尺,広七寸,経尺一,数施一擊而下之,為上下釫而之。
書き下し
城下に足るを下説の鑱找と為す。長さ五尺、大いさ圉半以上、皆な其の末を剡ぎ、五行と為し、行の間の廣さ三尺、貍むること三尺、大耳もて之を樹つ。連殳を為る。長さ五尺、大いさ十尺。挺の長さ二尺、大いさ六寸、索の長さ二尺。椎は、柄の長さ六尺、首の長さ尺五寸。斧は、柄の長さ六尺、刃は必ず利く、皆な其の一を後にす。答の廣さ丈二尺、丈六尺、前衡に垂るること四寸、兩端の接すること尺、相い覆う。魚鱗の三たびすること勿からしめ、其の後行に著く。中央の木繩一、長さ二丈六尺。答樓の㑹わざる者は牒を以て塞ぐ。數しば暴し乾かす。答は格を為し、風をして上下せしむ。堞の惡しくして壊るるを疑わしむ者は、先ず木を貍むること十尺に一枚、一節壊るれば、植うるに押慮を以てし、盧薄を木に薄る。盧薄の表八尺、廣さ七寸、經尺一。數しば一擊を施して之を下し、上下の釫を為りて之にす。
現代語訳
城の下に足りるだけ杭を打つ。長さ五尺、太さは半抱え以上、みな先を鋭く削り、五列に並べ、列の間隔は三尺、三尺埋め、大きな取っ手で立てる。連殳を作る。長さ五尺、太さ十尺。棒の長さは二尺、太さ六寸、縄の長さ二尺。槌は柄の長さ六尺、頭の長さ一尺五寸。斧は柄の長さ六尺、刃は必ず鋭く、いずれも一方を後ろにする。覆いの幅は一丈二尺、長さ一丈六尺、前の横木から四寸垂らし、両端は一尺重ねる。魚の鱗のように三重にならないようにし、後列に付ける。中央の木の縄が一本、長さ二丈六尺。覆いと楼が合わないところは板で塞ぐ。しばしば日に干して乾かす。覆いには格子を作り、風が通るようにする。狭間が傷んで壊れそうなところは、あらかじめ十尺ごとに木を一本埋め、一節が壊れたら押さえを立て、板を木に当てる。板の表は八尺、幅七寸、太さ一尺一。しばしば一撃を加えて下ろし、上下の留め具を作って留める。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。