墨子 / 魯問
公輸子謂子墨子曰:「吾未得見之時,我欲得宋,自我得見之後,予我宋而不義,我不為。」子墨子曰:「翟之未得見之時也,子欲得宋,自翟得見子之後,予子宋而不義,子弗為,是我予子宋也。子務為義,翟又将與子天下。」
新字:公輸子謂子墨子曰:「吾未得見之時,我欲得宋,自我得見之後,予我宋而不義,我不為。」子墨子曰:「翟之未得見之時也,子欲得宋,自翟得見子之後,予子宋而不義,子弗為,是我予子宋也。子務為義,翟又将与子天下。」
書き下し
公輸子、子墨子に謂いて曰く、「吾れ未だ之に見ゆるを得ざる時、我れ宋を得んと欲す。我れ見ゆるを得てより後は、我に宋を予うるも不義ならば、我れ為さず」と。子墨子曰く、「翟の未だ見ゆるを得ざる時や、子は宋を得んと欲す。翟、子に見ゆるを得てより後は、子に宋を予うるも不義ならば、子、為さず。是れ我れ子に宋を予うるなり。子、務めて義を為さば、翟、又た将に子に天下を與えんとす」と。
現代語訳
公輸子が墨子に言った。「私があなたに会う前は、宋を手に入れたいと思っていた。会ってからは、宋を与えられても不義であればやらない」。墨子が言った。「私があなたに会う前は、あなたは宋を手に入れたいと思っていた。私があなたに会ってからは、宋を与えられても不義であればやらない。それは私があなたに宋を与えたということだ。あなたが努めて義を行うなら、私はさらにあなたに天下を与えよう」。
解説
欲しがるのをやめさせたことを「与えた」と言い換えます。手に入れたいという思いから解放されることを、獲得と同じ言葉で数える。そのうえで、義を行えば天下を与えようと続ける。人が何かを諦めたとき、それを損失としてではなく、別のものを得たこととして語る言い方です。手放したものの数え方を変える、という技でもあります。
この章句が説くこと
手放す獲得義転換言い換え
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