墨子 / 魯問
吳慮謂子墨子曰:「義耳義耳,焉用言之哉?」子墨子曰:「籍設而天下不知耕,教人耕,與不教人耕而獨耕者,其功孰多?」吳慮曰:「教人耕者其功多。」子墨子曰:「籍設而攻不義之國,鼓而使衆進戰,與不鼓而使衆進戰而獨進戰者,其功孰多?」吳慮曰:「鼓而進衆者其功多。」子墨子曰:「天下匹夫徒步之士少知義,而教天下以義者功亦多,何故弗言也?若得鼓而進于義,則吾義豈不益進哉?」
新字:吳慮謂子墨子曰:「義耳義耳,焉用言之哉?」子墨子曰:「籍設而天下不知耕,教人耕,与不教人耕而独耕者,其功孰多?」吳慮曰:「教人耕者其功多。」子墨子曰:「籍設而攻不義之国,鼓而使衆進戦,与不鼓而使衆進戦而独進戦者,其功孰多?」吳慮曰:「鼓而進衆者其功多。」子墨子曰:「天下匹夫徒歩之士少知義,而教天下以義者功亦多,何故弗言也?若得鼓而進于義,則吾義豈不益進哉?」
書き下し
吳慮、子墨子に謂いて曰く、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「籍設して天下、耕すを知らずんば、人に耕すを教うると、人に耕すを教えずして獨り耕す者と、其の功、孰れか多き」と。吳慮曰く、「人に耕すを教うる者、其の功多し」と。子墨子曰く、「籍設して不義の國を攻むるに、鼓して衆をして進み戰わしむると、鼓せずして衆をして進み戰わしめて獨り進み戰うと、其の功、孰れか多き」と。吳慮曰く、「鼓して衆を進むる者、其の功多し」と。子墨子曰く、「天下の匹夫徒歩の士、義を知ること少なし。而して天下に教うるに義を以てする者の功も亦た多し。何の故に言わざるや。若し鼓して義に進むを得ば、則ち吾が義、豈に益ます進まざらんや」と。
現代語訳
呉慮が墨子に言った。「義だけだ、義だけだ。どうして言葉など要るのか」。墨子が言った。「仮に天下の人が耕作を知らないとして、人に耕作を教えるのと、教えずに一人で耕すのと、どちらの功が多いか」。呉慮が言った。「人に教えるほうが功が多い」。墨子が言った。「仮に不義の国を攻めるとして、太鼓を打って大勢を進ませ戦わせるのと、太鼓を打たずに一人で進んで戦うのと、どちらの功が多いか」。呉慮が言った。「太鼓を打って大勢を進ませるほうが功が多い」。墨子が言った。「天下の庶民の士は義を知ることが少ない。だから天下に義を教える者の功もまた多い。どうして言わないでいられようか。もし太鼓を打って義に進ませることができるなら、私の義はますます進むではないか」。
解説
この章句が説くこと
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老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
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『墨子』魯問魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。
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