墨子 / 魯問
魯陽文君語子墨子曰:「楚南有啖人之國者其國之長子生,則解而食之,謂之宜弟。美,則以遺其君,君喜則賞其父。豈不惡俗哉?」子墨子曰:「雖中國之俗,亦猶是也。殺其父而賞其子,何以異食其子而賞其父者哉?茍不用仁義,何以非夷人食其子也?」
新字:魯陽文君語子墨子曰:「楚南有啖人之国者其国之長子生,則解而食之,謂之宜弟。美,則以遺其君,君喜則賞其父。豈不悪俗哉?」子墨子曰:「雖中国之俗,亦猶是也。殺其父而賞其子,何以異食其子而賞其父者哉?苟不用仁義,何以非夷人食其子也?」
書き下し
魯陽文君、子墨子に語げて曰く、「楚の南に人を啖らう國なる者有り。其の國の長子生まるれば、則ち解きて之を食らう。之を宜弟と謂う。美なれば、則ち以て其の君に遺る。君、喜べば則ち其の父を賞す。豈に惡俗ならずや」と。子墨子曰く、「中國の俗と雖も、亦た猶お是のごときなり。其の父を殺して其の子を賞するは、何を以て其の子を食らいて其の父を賞する者に異ならんや。茍くも仁義を用いずんば、何を以て夷人の其の子を食らうを非とせんや」と。
現代語訳
魯陽文君が墨子に語った。「楚の南に人を食べる国がある。その国では長男が生まれると、解体して食べる。それを弟のためによいという。うまければ君主に献上する。君主が喜べばその父に褒美を与える。ひどい風習ではないか」。墨子が言った。「中国の風習も同じようなものです。戦で父を殺し、その子に褒美を与える。それは子を食べて父に褒美を与えるのと、どこが違いますか。もし仁義によらないなら、どうして異民族が子を食べるのを非とできましょう」。
解説
他所の風習を野蛮だと語る相手に、こちらの戦功の制度を並べます。父を殺した戦功で子が賞される。構造は同じだ、というわけです。他者を裁く基準を自分に当てるとどうなるか、という問い返しであり、仁義という共通の物差しを立てなければ他を非とする資格がない、という論理でもあります。よその奇習を笑う前に、自分の慣習を同じ目で見よということです。
この章句が説くこと
基準風習戦功批判相対
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