墨子 / 公孟
子墨子與程子辯,稱於孔子。程子曰:「非儒,何故稱於孔子也?」子墨子曰:「是亦當而不可易者也。今鳥聞熱旱之憂則髙,魚聞熱旱之憂則下,當此雖禹湯為之謀,必不能易矣。魚鳥可謂愚矣,禹湯猶云因焉。今翟曽無稱於孔子乎?」
新字:子墨子与程子弁,称於孔子。程子曰:「非儒,何故称於孔子也?」子墨子曰:「是亦当而不可易者也。今鳥聞熱旱之憂則高,魚聞熱旱之憂則下,当此雖禹湯為之謀,必不能易矣。魚鳥可謂愚矣,禹湯猶云因焉。今翟曽無称於孔子乎?」
書き下し
子墨子、程子と辯じて、孔子を稱す。程子曰く、「儒を非として、何の故に孔子を稱するや」と。子墨子曰く、「是れ亦た當たりて易う可からざる者なり。今、鳥は熱旱の憂いを聞けば則ち髙く、魚は熱旱の憂いを聞けば則ち下る。此に當たりては禹湯之が謀を為すと雖も、必ず易うる能わざらん。魚鳥は愚と謂う可し。禹湯も猶お云に焉に因る。今、翟、曽て孔子を稱すること無からんや」と。
現代語訳
墨子が程子と議論して、孔子の言葉を引いた。程子が言った。「儒者を非としながら、なぜ孔子を引くのですか」。墨子が言った。「それは当たっていて変えようがないからだ。いま鳥は日照りの兆しを察すれば高く上がり、魚は日照りの兆しを察すれば深く沈む。このことについては、禹や湯が考えても変えようがない。魚や鳥は愚かだと言える。それでも禹や湯はそれに従った。いま私が孔子を引かないことがあろうか」。
解説
批判している相手の言葉でも、正しければ引く。その理由を、魚や鳥の行動に聖王も従ったという例で示します。人ではなく中身で採る、という態度です。全体として反対している相手の中に、認めるべき部分を認められるか。論争が長引くほど難しくなる姿勢を、はっきり言葉にしています。
この章句が説くこと
引用中身対立公正判断
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