墨子 / 貴義
子墨子謂公良桓子曰:衛小國也,處於齊晉之間,猶貧家之處於富家之間也。貧家而學富家之衣食多用,則速亡必矣。今簡子之家,飾車數百乗,馬食菽粟者數百匹,婦人衣文繡者數百人。吾取飾車食馬之費與繡衣之財以畜士,必千人有餘。若有患難,則使百人處於前,數百於後,與婦人數百人處前後孰安?吾以為不若畜士之安也。
新字:子墨子謂公良桓子曰:衛小国也,処於斉晉之間,猶貧家之処於富家之間也。貧家而学富家之衣食多用,則速亡必矣。今簡子之家,飾車数百乗,馬食菽粟者数百匹,婦人衣文繡者数百人。吾取飾車食馬之費与繡衣之財以畜士,必千人有余。若有患難,則使百人処於前,数百於後,与婦人数百人処前後孰安?吾以為不若畜士之安也。
書き下し
子墨子、公良桓子に謂いて曰く、衛は小國なり。齊晉の間に處るは、猶お貧家の富家の間に處るがごときなり。貧家にして富家の衣食の多く用うるを學べば、則ち速やかに亡ぶこと必せり。今、簡子の家、飾車數百乗、馬の菽粟を食らう者數百匹、婦人の文繡を衣る者數百人なり。吾れ飾車食馬の費と繡衣の財とを取りて以て士を畜わば、必ず千人有餘ならん。若し患難有らば、則ち百人をして前に處らしめ、數百を後にせん。婦人數百人の前後に處ると孰れか安き。吾れ以為えらく士を畜うの安きに若かずと。
現代語訳
墨子が公良桓子に言った。衛は小国である。斉と晋の間にあるのは、貧しい家が富んだ家の間にあるようなものだ。貧しい家が富んだ家の衣食の派手さを真似れば、たちまち滅びるに決まっている。いま簡子の家には、飾り立てた車が数百台、豆や穀物を食べる馬が数百頭、刺繍の衣を着た女が数百人いる。私がその飾り車と馬の飼料の費用、刺繍の衣の代金を取って士を養えば、必ず千人以上になる。もし危難があったとき、百人を前に置き、数百人を後ろに置くのと、数百人の女を前後に置くのと、どちらが安全か。私は士を養うほうが安全だと思う。
解説
予算の組み替えを、具体的な数で示した提案です。飾り車と馬と刺繍の衣にかかっている費用を人に振り向ければ千人以上を養える、と換算してみせる。そのうえで、危難のときにどちらが役に立つかを問う。見栄えのための支出と、備えのための支出を並べて比べる。予算の見直しの型として、そのまま使えます。同じ金額を人数に換算し直すと、判断は速くなります。
この章句が説くこと
予算換算備え見栄え配分
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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