墨子 / 貴義
子墨子南遊使衛,關中載書甚多。唐子見而怪之,曰:「吾夫子教公尚過曰:『揣曲直而已。』今夫子載書甚多,何有也?」子墨子曰:「昔者周公旦朝讀書百篇,夕見七十士,故周公旦佐相天子,其脩至於今。翟上無君上之事,下無耕農之難,吾安敢廢此?翟聞之,同歸之物,信有誤者。然而民聴不鈞,是以書多也。今若過之心者,數逆於精微,同歸之物既巳知其要矣,是以不教以書也。而子何怪焉?」
新字:子墨子南遊使衛,関中載書甚多。唐子見而怪之,曰:「吾夫子教公尚過曰:『揣曲直而已。』今夫子載書甚多,何有也?」子墨子曰:「昔者周公旦朝読書百篇,夕見七十士,故周公旦佐相天子,其脩至於今。翟上無君上之事,下無耕農之難,吾安敢廃此?翟聞之,同帰之物,信有誤者。然而民聴不鈞,是以書多也。今若過之心者,数逆於精微,同帰之物既巳知其要矣,是以不教以書也。而子何怪焉?」
書き下し
子墨子、南のかた遊びて衛に使いす。關中に書を載すること甚だ多し。唐子、見て之を怪しみて曰く、「吾が夫子、公尚過に教えて曰く、『曲直を揣るのみ』と。今、夫子、書を載すること甚だ多し、何ぞ有らんや」と。子墨子曰く、「昔者、周公旦、朝に書百篇を讀み、夕に七十士を見る。故に周公旦、天子を佐相し、其の脩、今に至る。翟、上は君上の事無く、下は耕農の難無し。吾れ安んぞ敢えて此を廢せんや。翟、之を聞く、歸を同じくするの物、信に誤る者有り。然り而して民の聴、鈞しからず。是を以て書多きなり。今、過の心の若き者は、數しば精微に逆う。歸を同じくするの物、既に已に其の要を知れり。是を以て教うるに書を以てせざるなり。而るに子、何ぞ怪しまんや」と。
現代語訳
墨子が南へ旅して衛に使いした。車中に積んだ書物が非常に多かった。唐子がそれを見て不思議がって言った。「先生は公尚過に『曲がっているか真っすぐかを測ればよいだけだ』と教えられました。いま先生は書物をこんなに積んでおられる。どうしてですか」。墨子が言った。「むかし周公旦は朝に書を百篇読み、夕には七十人の士に会った。だから周公旦は天子を助けて宰相となり、その業績はいまに伝わる。私は上には君主に仕える務めがなく、下には農耕の苦労もない。どうしてこれをやめられよう。私はこう聞いている。同じところに帰る事柄でも、まことに取り違えることがある。そして人の聞き取り方はまちまちである。だから書物が多いのだ。いま公尚過のような者は、しばしば細かいところまで見通す。同じところに帰る事柄について、すでにその要点を知っている。だから書物では教えないのだ。あなたはどうして不思議がるのか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』難言第三多言繁稱にして、類を連ね物を比ぶれば
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「博く學びて詳かに之を說くは、將に以て反って約を說かんとすればなり。」 <解説> 孔子の教学の要旨とされている、「博文約礼」について述べられた節である。『論語』第六雍也篇に「君子博く文を学びて、之を約するに禮を以てせば、亦た以て畔かざるべきか。」とある。この文章の趣旨と合わせて、この節を理解すべきである。
-
『淮南子』繆稱訓國を成すの道は、工に偽事無く、農に遺力無く、士に隱行無く、官に失法無し。譬えば網を設くる者の若く、其の綱を引けば萬目 開く。舜・禹 再びは命を受けず、堯・舜 大を傳うるは、先ず小に形るればなり。寡妻に刑して、兄弟に至り、家國に禪りて、天下 風に從う。故に戎兵は大を以て小を知り、人は小を以て大を知る。君子の道は、近くして以て至る可からず、卑くして以て登る可からず、載する無くして勝えざる無く、大にして章らかに、遠くして隆し。此の道を知るは、人に求む可からず、斯れ諸を己に得ればなり。己を釋てて諸を人に求むるは、之を去ること遠し。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光御史中丞を除せらる。上疏して脩心の要三を論ず。仁と曰い明と曰い武と曰う。治國の要三を論ず。官人と曰い信賞と曰い必罰と曰う。其の説甚だ備わる。且つ曰く、臣昔諫官と爲り、即ち此の六言を以て仁宗に獻ず。其の後以て英宗に獻じ、今以て陛下に獻ず。平生の學力の得る所は盡く是に在りと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹公書局に在りて唐史を分職す。其の成敗治亂得失の迹を考え、其の機要を撮り、論次して書を成す。名づけて唐鑑と曰う。元祐元年、上奏して其の書を進む。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・王徳用寳元・慶厯の間より、元昊叛き、河西の兵、久しく功無し。士大夫、争いて計䇿を進め、改作する所多し。公笑いて曰く、奈何ぞ紛紛たる。兵法は是くの如くならず。士をして畏愛を知らしめて、怯者は勇に、勇者は驕らざらしむ。吾が勝つ可きを以て、敵に因りて之に勝つのみ。豈に多言ならんやと。