墨子 / 貴義
子墨子南游於楚,獻惠王,獻惠王以老辭,使穆賀見子墨子,子墨子説穆賀,穆賀大説,謂子墨子曰:「子之言則誠善矣,而君王天下之大王也,毋乃曰『賤人之所為』而不用乎?」子墨子曰:「唯其可行。譬若藥然,草之本,天子食之以順其疾,豈曰『一草之本』而不食哉?今農夫入其税於大人,大人為酒醴粢盛,以祭上帝鬼神,豈曰『賤人之所為』而不享哉?故雖賤人也,上比之農,下比之藥,曽不若一草之本乎?
新字:子墨子南游於楚,献恵王,献恵王以老辞,使穆賀見子墨子,子墨子説穆賀,穆賀大説,謂子墨子曰:「子之言則誠善矣,而君王天下之大王也,毋乃曰『賤人之所為』而不用乎?」子墨子曰:「唯其可行。譬若薬然,草之本,天子食之以順其疾,豈曰『一草之本』而不食哉?今農夫入其税於大人,大人為酒醴粢盛,以祭上帝鬼神,豈曰『賤人之所為』而不享哉?故雖賤人也,上比之農,下比之薬,曽不若一草之本乎?
書き下し
子墨子、南のかた楚に游び、惠王に獻ず。惠王、老を以て辭し、穆賀をして子墨子に見えしむ。子墨子、穆賀に説く。穆賀、大いに説び、子墨子に謂いて曰く、「子の言は則ち誠に善し。而れども君王は天下の大王なり。乃ち『賤人の為す所』と曰いて用いざること毋からんや」と。子墨子曰く、「唯だ其の行う可きのみ。譬えば藥の然るが若し。草の本なるも、天子、之を食らいて以て其の疾を順す。豈に『一草の本なり』と曰いて食らわざらんや。今、農夫、其の税を大人に入る。大人、酒醴粢盛を為りて、以て上帝鬼神を祭る。豈に『賤人の為す所』と曰いて享せざらんや。故に賤人と雖も、上は之を農に比し、下は之を藥に比す。曽ち一草の本に若かざらんや」と。
現代語訳
墨子が南の楚に行き、恵王に献策した。恵王は老齢を理由に辞退し、穆賀を遣わして墨子に会わせた。墨子が穆賀に説くと、穆賀は大いに喜んで言った。「あなたの言葉はまことに善い。しかし君王は天下の大王です。『賤しい者のやることだ』と言って用いないのではありませんか」。墨子が言った。「大事なのは、それが行えるかどうかだけです。たとえば薬のようなものです。ただの草の根でも、天子はそれを飲んで病を治す。『たかが草の根だ』と言って飲まないでしょうか。いま農夫は税を大人に納める。大人はそれで酒と供物を作り、上帝や鬼神を祭る。『賤しい者が作ったものだ』と言って供えないでしょうか。だから賤しい者であっても、上は農夫にたとえ、下は薬にたとえられる。草の根一本にも及ばないということがありましょうか」。
解説
この章句が説くこと
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