墨子 / 耕柱
子墨子曰:「子之義将匿耶意将以告人乎?」巫馬子曰:「我何故匿我義?吾将以告人。」子墨子曰:「然則一人説子,一人欲殺子以利己;十人説子,十人欲殺子以利己;天下説子,天下欲殺子以利己。一人不説子,一人欲殺子,以子為施不祥言者也;十人不説子,十人欲殺子,以子為施不祥言者也;天下不説子,天下欲殺子,以子為施不祥言者也。説子亦欲殺子,不説子亦欲殺子,是所謂經者口也,殺常之身者也。」
新字:子墨子曰:「子之義将匿耶意将以告人乎?」巫馬子曰:「我何故匿我義?吾将以告人。」子墨子曰:「然則一人説子,一人欲殺子以利己;十人説子,十人欲殺子以利己;天下説子,天下欲殺子以利己。一人不説子,一人欲殺子,以子為施不祥言者也;十人不説子,十人欲殺子,以子為施不祥言者也;天下不説子,天下欲殺子,以子為施不祥言者也。説子亦欲殺子,不説子亦欲殺子,是所謂経者口也,殺常之身者也。」
書き下し
子墨子曰く、「子の義は将た匿さんか、意うに将に以て人に告げんとするか」と。巫馬子曰く、「我れ何の故にか我が義を匿さん。吾れ将に以て人に告げんとす」と。子墨子曰く、「然らば則ち一人、子を説べば、一人、子を殺して以て己を利せんと欲す。十人、子を説べば、十人、子を殺して以て己を利せんと欲す。天下、子を説べば、天下、子を殺して以て己を利せんと欲す。一人、子を説ばざれば、一人、子を殺さんと欲す、子を以て不祥の言を施す者と為せばなり。十人、子を説ばざれば、十人、子を殺さんと欲す、子を以て不祥の言を施す者と為せばなり。天下、子を説ばざれば、天下、子を殺さんと欲す、子を以て不祥の言を施す者と為せばなり。子を説ぶも亦た子を殺さんと欲し、子を説ばざるも亦た子を殺さんと欲す。是れ所謂る經なる者は口なり、常の身を殺す者なり」と。
現代語訳
墨子が言った。「あなたのその主張は、隠すつもりか、それとも人に告げるつもりか」。巫馬子が言った。「どうして自分の主張を隠そうか。私は人に告げるつもりだ」。墨子が言った。「ならば、一人があなたの説に賛成すれば、その一人はあなたを殺して自分の益にしようとする。十人が賛成すれば、十人があなたを殺して自分の益にしようとする。天下が賛成すれば、天下があなたを殺して自分の益にしようとする。一人が賛成しなければ、その一人はあなたを殺そうとする。不吉な言葉を広める者だと思うからだ。十人が賛成しなければ十人が、天下が賛成しなければ天下が、あなたを殺そうとする。賛成する者もあなたを殺そうとし、賛成しない者もあなたを殺そうとする。これがいわゆる、口が身を縊るということであり、いつも身を殺すものである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「我れ子と異なり、我れ兼愛する能わず。我れ鄒人を越人よりも愛し、魯人を鄒人よりも愛し、我が鄉人を魯人よりも愛し、我が家人を鄉人よりも愛し、我が親を我が家人よりも愛し、我が身を吾が親よりも愛す。以為えらく我に近ければなりと。我を擊てば則ち疾み、彼を擊てば則ち我に疾まず。我れ何の故にか疾む者を之れ拂わずして、疾まざる者を之れ拂わんや。故に我れ有り、彼を殺して以て我にする有り、我を殺して以て利する無し」と。
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂う、「之れ義を為すや、人、見ずして耶し、鬼、見ずして富ます。而るに子、之を為すは、狂疾有り」と。子墨子曰く、「今、子をして二臣を此に有らしめん。其の一人なる者は、子を見れば事に従い、子を見ざれば則ち事に従わず。其の一人なる者は、子を見るも亦た事に従い、子を見ざるも亦た事に従う。子、此の二人に於いて誰をか貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは其の我を見るも亦た事に従い、我を見ざるも亦た事に従う者を貴ばん」と。子墨子曰く、「然らば則ち是れ子も亦た狂疾有るを貴ぶなり」と。
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『墨子』經下而も撓まざるは、説は勝に在り。一法なる者の相い與するや、盡く方の相い召くが若し。説は方に在り。契と枝板とは、説は薄に在り。狂舉は以て異を知る可からず、説は不可なる有るに在り。牛馬の牛に非ざると、可なるの同じきとは、説は兼に在り。倚る者は正す可からず、説は剃に在り。此に循い此に循うと彼と此と同じきは、説は異に在り。之を推せば必ず往く、説は材を廢するに在り。唱と和と患いを同じくす、説は功に在り。買うに貴き無し、説は其の賈に仮るに在り。知らざる所を聞くこと、知る所の若くんば、則ち兩つながら之を知る。説は告ぐるに在り。賈、宜しければ則ち讐る、説は盡に在り。言を以て盡く誖ると為すは誖る、説は其の言に在り。説無くして懼るるは、説は心にせざるに在り。惟だ吾が謂うは名に非ずとせば則ち不可なり、説は仮に在り。或いは名を過つは、説は實に在り。無窮は兼を害せず、説は盈と否とに在り。
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『墨子』兼愛下然り而して天下の士の兼を非とする者の言、猶お未だ止まざるなり。曰く、「即ち善し。然りと雖も、豈に用う可けんや」と。子墨子曰く、用いて可ならざれば、者も亦た將に之を非とせん。且つ焉くんぞ善にして用う可からざる者有らんや。姑く嘗みに兩つながら之を進めん。誰か以て二士と為し、其の一士をして别を執らしめ、其の一士をして兼を執らしめん。是の故に别士の言に曰く、「吾れ豈に能く吾が友の身を為むること吾が身を為むるが若くし、吾が友の親を為むること吾が親を為むるが若くせんや」と。是の故に退きて其の友を睹るに、飢うるも即ち食わしめず、寒きも即ち衣せしめず、疾病あるも侍養せず、死喪あるも葬埋せず。别士の言は此くの若く、行いも此くの若し。
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『墨子』經下知りて之を知り、之を否とするは、用うるに足るなり。諄は、説は以て無きに在り。其の數を知らずして其の盡くるを知るは、説は眀者に在り。辯に勝つこと無しと謂うは、必ず當たらず。説は辯に在り。其の處る所を知らざるも、之を愛するを害せず。説は子を䘮う者に在り。讓らざる無きは不可なり、説は始に在り。仁義の外内為るや、内は説は仵顔に在り。一に於いて知る有り、知らざる有るは、説は存に在り。學の益あるは、説は誹る者に在り。二を指す有りて逃る可からざるは、説は二を以て絫ぬるに在り。之を誹るの可否は、衆寡を以てせず、説は非とす可きに在り。知りて指す能わざるは、説は春と逃臣と狗犬と貴者とに在り。誹る者を非とするは諄なり、説は非とせざるに在り。狗を知りて自ら犬を知らずと謂うは、過ちなり。説は重に在り。物、箕なるも甚しからず、説は是くの若きに在り。意を通じて後に對うるは、説は其の誰を謂うかを知らざるに在り。下を取りて以て上を求むるは、説は澤に在り。是と是とは同じ、説は州せざるに在り。