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墨子 / 耕柱

巫馬子謂子墨子曰:「我與子異,我不能兼愛。我愛鄒人於越人,愛魯人於鄒人,愛我鄉人於魯人,愛我家人於鄉人,愛我親於我家人,愛我身於吾親,以為近我也。擊我則疾,擊彼則不疾於我,我何故疾者之不拂,而不疾者之拂?故有我,有殺彼以我,無殺我以利

新字:巫馬子謂子墨子曰:「我与子異,我不能兼愛。我愛鄒人於越人,愛魯人於鄒人,愛我鄉人於魯人,愛我家人於鄉人,愛我親於我家人,愛我身於吾親,以為近我也。擊我則疾,擊彼則不疾於我,我何故疾者之不払,而不疾者之払?故有我,有殺彼以我,無殺我以利

書き下し

巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「我れ子と異なり、我れ兼愛する能わず。我れ鄒人を越人よりも愛し、魯人を鄒人よりも愛し、我が鄉人を魯人よりも愛し、我が家人を鄉人よりも愛し、我が親を我が家人よりも愛し、我が身を吾が親よりも愛す。以為えらく我に近ければなりと。我を擊てば則ち疾み、彼を擊てば則ち我に疾まず。我れ何の故にか疾む者を之れ拂わずして、疾まざる者を之れ拂わんや。故に我れ有り、彼を殺して以て我にする有り、我を殺して以て利する無し」と。

現代語訳

巫馬子が墨子に言った。「私はあなたと違う。私は兼愛ができない。私は鄒の人を越の人より愛し、魯の人を鄒の人より愛し、自分の郷里の人を魯の人より愛し、自分の家族を郷里の人より愛し、自分の親を家族より愛し、自分の身を親より愛する。自分に近いからだ。私を打てば痛むが、他人を打っても私は痛くない。どうして痛むほうを払わずに、痛くないほうを払おうか。だから私があり、他人を殺して自分の益にすることはあっても、自分を殺して人を利することはない」。

解説

兼愛への正面からの反論です。愛は自分を中心に、距離に応じて薄くなる。根拠は「打たれれば自分は痛いが、他人が打たれても痛くない」という身体の実感で、経験に基づく強い議論です。墨家は非命でも兼愛でも、こうした実感からの反論に何度も答えてきました。次の段が、その答えになります。反論を最も強い形で残しているのが、この書の特徴です。

この章句が説くこと

兼愛距離実感反論自己

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