墨子 / 小取
之馬之目盼則為之馬盼之馬之目大,而不謂之馬大。之牛之毛黄,則為之牛黄。之牛之毛衆,而不謂之牛衆。一馬,馬也。二馬,馬也。馬四足者,一馬而四足也,非兩馬而四足也。一馬,馬也。馬或白者,二馬而或白也,非一馬而或白。此乃一是而一非者也。
新字:之馬之目盼則為之馬盼之馬之目大,而不謂之馬大。之牛之毛黄,則為之牛黄。之牛之毛衆,而不謂之牛衆。一馬,馬也。二馬,馬也。馬四足者,一馬而四足也,非両馬而四足也。一馬,馬也。馬或白者,二馬而或白也,非一馬而或白。此乃一是而一非者也。
書き下し
之の馬の目、盼なれば則ち之の馬、盼なりと為す。之の馬の目、大なるも、之の馬、大なりと謂わず。之の牛の毛、黄なれば、則ち之の牛、黄なりと為す。之の牛の毛、衆きも、之の牛、衆しと謂わず。一馬は馬なり。二馬も馬なり。馬の四足なる者は、一馬にして四足なり、兩馬にして四足なるに非ざるなり。一馬は馬なり。馬の或いは白き者は、二馬にして或いは白きなり、一馬にして或いは白きに非ざるなり。此れ乃ち一は是にして一は非なる者なり。
現代語訳
この馬の目が黒白はっきりしていれば、この馬は黒白はっきりしているという。しかしこの馬の目が大きくても、この馬が大きいとは言わない。この牛の毛が黄色ければ、この牛は黄色いという。しかしこの牛の毛が多くても、この牛が多いとは言わない。一頭の馬は馬である。二頭の馬も馬である。馬が四足であるというのは、一頭の馬が四足だということで、二頭の馬で四足ということではない。一頭の馬は馬である。馬に白いものがあるというのは、二頭の馬のうち一頭が白いということで、一頭の馬について言うのではない。これが「一方は是で、一方は非である」場合である。
解説
部分の性質が全体に移るかどうかは、性質によって変わるという指摘です。色は移るが、大きさや数は移らない。馬の目が大きくても馬が大きいとは言わない。さらに、四足という性質は一頭ごとに成り立ち、白いという性質は集まりの中で成り立つ。同じ形の文でも、量のかかり方が違う。統計や指標の読み方を誤らせるのは、たいていこの取り違えです。
この章句が説くこと
全体部分性質量指標
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