墨子 / 小取
白馬,馬也;乗白馬,乗馬也。驪馬,馬也;乗驪馬,乗馬也。獲,人也;愛獲,愛人也。臧,人也;愛臧,愛人也。此乃是而然者也。
書き下し
白馬は馬なり。白馬に乗るは、馬に乗るなり。驪馬は馬なり。驪馬に乗るは、馬に乗るなり。獲は人なり。獲を愛するは、人を愛するなり。臧は人なり。臧を愛するは、人を愛するなり。此れ乃ち是にして然る者なり。
現代語訳
白馬は馬である。白馬に乗るのは、馬に乗ることである。黒馬は馬である。黒馬に乗るのは、馬に乗ることである。獲は人である。獲を愛するのは、人を愛することである。臧は人である。臧を愛するのは、人を愛することである。これが「それであって、そうである」場合である。
解説
名家の公孫龍が「白馬は馬に非ず」と論じたのに対し、墨家はここで正面から「白馬は馬なり」と置きます。そして、白馬に乗るのは馬に乗ることだ、と述語のほうも同じように移る例を並べる。主語が類に含まれるとき、述語もそのまま移る場合——これを「是而然」と名づけました。次の段で、その反例が示されます。
この章句が説くこと
白馬類述語推論部分
関連する章句
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『墨子』小取之の馬の目、盼なれば則ち之の馬、盼なりと為す。之の馬の目、大なるも、之の馬、大なりと謂わず。之の牛の毛、黄なれば、則ち之の牛、黄なりと為す。之の牛の毛、衆きも、之の牛、衆しと謂わず。一馬は馬なり。二馬も馬なり。馬の四足なる者は、一馬にして四足なり、兩馬にして四足なるに非ざるなり。一馬は馬なり。馬の或いは白き者は、二馬にして或いは白きなり、一馬にして或いは白きに非ざるなり。此れ乃ち一は是にして一は非なる者なり。
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『墨子』小取獲の親は人なり。獲、其の親に事うるは、人に事うるに非ざるなり。其の弟は美人なり。弟を愛するは、美人を愛するに非ざるなり。車は木なり。車に乗るは、木に乗るに非ざるなり。船は木なり。船に乗るは、木に乗るに非ざるなり。盜人は人なり。盜多きは、人多きに非ざるなり。盜無きは、人無きに非ざるなり。奚を以て之を眀らかにせん。盜の多きを惡むは、人の多きを惡むに非ざるなり。盜の無からんことを欲するは、人の無からんことを欲するに非ざるなり。世、相い與に共に之を是とす。若し是くの若くんば、則ち盜人は人なりと雖も、盜を愛するは人を愛するに非ざるなり。盜を愛せざるは人を愛せざるに非ざるなり。盜人を殺すは人を殺すに非ざるなり。難無し、盜に難無し。此れ彼と類を同じくす。世に彼有りて自ら非とせず、墨者に此れ有りて之を非とするは、故無きなり。所謂る内に膠づき外に閉ざさるるか。心、内に空しきこと毋く、膠づきて解けざるなり。此れ乃ち是にして然らざる者なり。
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『墨子』經說下止。彼は此を以て其れ然りと為し、是れ其れ然りと説く。我れは此を以て其れ然らずと為し、是れ其れ然るを疑う。四足の獸と、立つ鳥と物とを謂うは、盡くと大小となり。此れ然れば是れ必ず然りとせば、則ち倶に麋と為らん。同名。倶に鬬すれども、倶には二ならざるは、三と鬬となり。包・肝・肺・子は、愛なり。橘と茅とは、食と抬となり。白馬は白多く、馬を視るも視ること多からざるは、白と視となり。麗を為すも必ずしも麗ならざるは、麗と暴となり。非を為すも人を以て是とすれば、非を為さず。夫の勇を為すも、夫と為らざるが若し。屨を為るに買を以てす。衣、屨を為るは、夫と屨となり。二と一と亡ぶ。一と偏去と未とに與せず。文實有りて、而る後に之を謂う。文實無ければ、則ち謂う無きなり。敷と美とに若かず。是と謂わば、則ち是れ固より美なり。也と謂わば、則ち是れ美に非ず。謂う無ければ、則ち報ゆるなり。
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『墨子』小取人を愛するは、周く人を愛するを待ちて、而る後に人を愛すと為す。人を愛せずとは、周く人を愛せざるを待たず。周く愛するを失えば、因りて人を愛せずと為す。馬に乗るは、周く馬に乗るを待ちて、然る後に馬に乗ると為すにあらず。馬に乗ること有れば、因りて馬に乗ると為す。至って馬に乗らずとは、周く馬に乗らざるを待ちて、而る後に馬に乗らずと為す。此れ一は周く、一は周からざる者なり。國に居れば、則ち國に居ると為す。一宅を國に有するも、國を有すと為さず。桃の實は桃なり。棘の實は棘に非ざるなり。人の病を問うは、人を問うなり。人の病を惡むは、人を惡むに非ざるなり。人の鬼は人に非ざるなり。兄の鬼は兄なり。祭の鬼は祭人に非ざるなり。兄の鬼を祭るは、乃ち兄を祭るなり。
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『墨子』經說上衣を為るは、成なり。病を治むるは、亡なり。使。令謂は、謂なり、必ずしも濕を成さず。故なり、必ず為す所の成るを待つなり。名。物は、逹なり。實有れば、必ず文の多きを待ちて之に命ず。馬は、類なり。實の若き者は、必ず是の名を以て之に命ず。臧は、私なり。是の名は、是の實に止まる。聲、口を出づれば、倶に名有り。姓宇灑の若し。謂。狗犬は、命なり。狗犬は、舉なり。狗を叱るは、加なり。知。之を傳え受くるは、聞なり。方、㢓らざるは、説なり。身ら焉を觀るは、親なり。謂う所以は、名なり。謂う所は、實なり。名と實と耦するは、合なり。志、行わるるは、為なり。聞。或いは之を告ぐるは、傳なり。身ら焉を觀るは、親なり。見。時なる者は、體なり。二なる者は、盡なり。
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『墨子』大取小仁と大仁と、行いの厚きこと相い若し。其の類、申凡に在り。利を興し害を除くなり。其の類、漏雍に在り。親を厚くするは行いに稱わず、而して類、行わる。其の類、江上の井に在り。己が為にせざるの學ぶ可きなり。其の類、獵走に在り。人を愛するは譽の為にするに非ざるなり。其の類、逆旅に在り。人の親を愛すること、其の親を愛するが若し。其の類、官茍に在り。兼愛は相い若く、一愛も相い若し。其の類、死虵に在り。