墨子 / 經說下
行,者行者,必先近而後逺。逺脩近,脩也;先後,久也。民行脩,必以久也。一方貌盡俱有法而異,或木或石,不害其方之相台也。盡貌猶方也,物俱然。牛狂與馬惟異,以牛有齒、馬有尾,説牛之非馬也,不可。是俱有,不偏有、偏無有。曰:「之與馬不類,用牛角,馬無角。」是類不同也。若舉牛有角馬無角以是為類之不同也,是狂舉也。猶牛有齒、馬有尾,或不非牛而非牛也可,則或非牛或牛而牛也可。
新字:行,者行者,必先近而後遠。遠脩近,脩也;先後,久也。民行脩,必以久也。一方貌尽倶有法而異,或木或石,不害其方之相台也。尽貌猶方也,物倶然。牛狂与馬惟異,以牛有齒、馬有尾,説牛之非馬也,不可。是倶有,不偏有、偏無有。曰:「之与馬不類,用牛角,馬無角。」是類不同也。若舉牛有角馬無角以是為類之不同也,是狂舉也。猶牛有齒、馬有尾,或不非牛而非牛也可,則或非牛或牛而牛也可。
書き下し
行。行く者は、必ず先ず近くして後に逺し。逺は近を脩う、脩なり。先後は、久なり。民の行、脩きは、必ず久を以てなり。一方の貌、盡く倶に法有りて異なる。或いは木、或いは石なるも、其の方の相い台うを害せず。盡く貌は猶お方のごとし、物、倶に然り。牛と馬とは惟だ異なるのみ。牛に齒有り、馬に尾有るを以て、牛の馬に非ざるを説くは、不可なり。是れ倶に有りて、偏に有り偏に無きに非ず。曰く、「之れ馬と類せざるは、牛の角を用うるも、馬に角無ければなり」と。是れ類の同じからざるなり。若し牛に角有り馬に角無きを舉げて、是を以て類の同じからずと為さば、是れ狂舉なり。猶お牛に齒有り馬に尾有るがごとし。或いは牛に非ずとせずして牛に非ずとするは可なり。則ち或いは牛に非ずとし或いは牛として牛とするも可なり。
現代語訳
行について。行く者は、必ずまず近くを行き、あとで遠くに至る。遠は近を積み重ねたもので、それが長さである。先と後とは、時間である。民の歩みが長いのは、必ず時間によるのである。四角い形はどれも同じ法によりながら、材質が違う。木であっても石であっても、その四角さが互いに合うことを妨げない。すべての形は四角と同じで、物はみなそうである。牛と馬とはただ異なるだけである。牛に歯があり馬に尾があることをもって、牛が馬でないと説くのは成り立たない。それは両方にあるのであって、一方にあって一方にないのではない。「馬と類を同じくしないのは、牛には角があるのに馬には角がないからだ」という。それが類が同じでないということである。もし牛に角があり馬に角がないことを挙げて、それで類が違うとするなら、それは乱暴な挙げ方である。牛に歯があり馬に尾があるというのと同じだからだ。牛でないとせずに牛でないとするのは成り立つ。ならば牛でないとしたり牛としたりして牛とするのも成り立つ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「子は三年の喪を以て非と為す。子の三日の喪も亦た非なり」と。子墨子曰く、「子は三年の喪を以て三日の喪を非とす。是れ猶お倮なる者の蹶く者を恭しからずと謂うがごときなり。
-
『墨子』經說上同異、交ごも得るは、福家良恕に於いては、有無なり。比度は、多少なり。免虭還園は、去就なり。鳥折用桐は、堅柔なり。劒尤早は、死生なり。處室の子と子母とは、長少なり。兩絶勝は、白黑なり。中央と旁となり。論と行と學と實とは、是非なり。難宿は、成と未となり。兄弟は、倶に適うなり。身は處り志は往くは、存亡なり。霍と為とは、姓故なり。賈の宜しきは、貴賤なり。諾超城は、員止なり。相い従い、相い去り、先に知り、是とし、可とし、五色、長短、前後、輕重なり。
-
『管子』小匡正月の朝、五屬の大夫公に事を復す、其の功寡なき者を擇びて之を譙めて曰く、「地を列ね民を分かつこと一の若し、何の故に獨り功寡なき。何を以て人に及ばざる。教訓善からず、政事其れ治まらざるか。一再なれば則ち宥し、三たびすれば則ち赦さず」と。公又た焉に問いて曰く、「子の屬に、居處義を為し學を好み、聰明質仁、父母に慈孝、長弟鄉里に聞こゆる者有らば、有らば則ち以て告げよ。有りて以て告げざるは、之を蔽賢と謂う、其の罪五なり」と。有司事を已えて竣む。公又た焉に問いて曰く、「子の屬に、拳勇股肱の力有り、衆に秀出する者有らば、有らば則ち以て告げよ。有りて以て告げざるは、之を蔽才と謂う、其の罪五なり」と。有司事を已えて竣む。公又た焉に問いて曰く、「子の屬に、父母に慈孝ならず、鄉里に長弟ならず、驕躁淫暴にして、上令を用いざる者有らば、有らば則ち以て告げよ。有りて以て告げざる者は、之を下比と謂う、其の罪五なり」と。有司事を已えて竣む。是に於いてか五屬の大夫退きて屬を修め、屬退きて連を修め、連退きて鄉を修め、鄉退きて卒を修め、卒退きて邑を修め、邑退きて家を修む。是の故に匹夫に善有らば、得て舉ぐ可し。匹夫に不善有らば、得て誅す可し。政成りて國安く、以て守れば則ち固く、以て戰えば則ち彊し。封内治まり、百姓親しみ、以て四方に出征し、一霸王を立つ可し。
-
『墨子』經說下見ると見ざるとは離る。一と二とは相い盈たさず。廣と循と堅白となり。舉げて重からざるは箴と與にせず、力の任に非ざるなり。握る者の倍を為すは、智の任に非ざるなり。耳目の若し。異。木と夜と孰れか長き。智と粟と孰れか多き。爵と親と行と賈と、四者孰れか貴き。麋と霍と孰れか髙き。麋と霍と孰れか霍なる。虭と瑟と孰れか瑟なる。偏。倶に一にして變ずる無し。假。假は必ず非なり、而る後に假なり。狗の霍を假るは、猶お霍を氏とするがごときなり。物。或いは之を傷るは、然るなり。之を見るは、智なり。之を吉するは、智らしむるなり。疑。蓬、務を為せば則ち士なり。牛廬を為る者、夏、寒きは、蓬なり。之を舉ぐれば則ち輕く、之を廢すれば則ち重きは、力有るに非ざるなり。沛、削に従うは、巧に非ざるなり。石と羽との若きは、楯なり。鬬う者の敝るるや、飲酒を以てす。曰中を以てするが若し。是れ智る可からざるなり、愚なり。智なるか、已を以て然りと為すか。愚なり。
-
論語・公冶長篇子、子貢に謂いて曰く、「女と回と孰れか愈れる。」対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る。」子曰く、「如かざるなり。吾と女と、如かざるなり。」
-
『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。