墨子 / 小取
愛人,待周愛人,而後為愛人。不愛人,不待周不愛人,不失周愛,因為不愛人矣。乗馬,待周乗馬,然後為乗馬也。有乗於馬,因為乗馬矣。逮至不乗馬,待周不乗馬,而後不乗馬而後不乗馬。此一周而一不周者也。居於國,則為居國;有一宅於國,而不為有國。桃之實,桃也;棘之實,非棘也。問人之病,問人也;惡人之病,非惡人也。人之鬼,非人也;兄之鬼,兄也。祭之鬼,非祭人也;祭兄之鬼,乃祭兄也。
新字:愛人,待周愛人,而後為愛人。不愛人,不待周不愛人,不失周愛,因為不愛人矣。乗馬,待周乗馬,然後為乗馬也。有乗於馬,因為乗馬矣。逮至不乗馬,待周不乗馬,而後不乗馬而後不乗馬。此一周而一不周者也。居於国,則為居国;有一宅於国,而不為有国。桃之実,桃也;棘之実,非棘也。問人之病,問人也;悪人之病,非悪人也。人之鬼,非人也;兄之鬼,兄也。祭之鬼,非祭人也;祭兄之鬼,乃祭兄也。
書き下し
人を愛するは、周く人を愛するを待ちて、而る後に人を愛すと為す。人を愛せずとは、周く人を愛せざるを待たず。周く愛するを失えば、因りて人を愛せずと為す。馬に乗るは、周く馬に乗るを待ちて、然る後に馬に乗ると為すにあらず。馬に乗ること有れば、因りて馬に乗ると為す。至って馬に乗らずとは、周く馬に乗らざるを待ちて、而る後に馬に乗らずと為す。此れ一は周く、一は周からざる者なり。國に居れば、則ち國に居ると為す。一宅を國に有するも、國を有すと為さず。桃の實は桃なり。棘の實は棘に非ざるなり。人の病を問うは、人を問うなり。人の病を惡むは、人を惡むに非ざるなり。人の鬼は人に非ざるなり。兄の鬼は兄なり。祭の鬼は祭人に非ざるなり。兄の鬼を祭るは、乃ち兄を祭るなり。
現代語訳
人を愛するというのは、すべての人を愛してはじめて人を愛したことになる。人を愛さないというのは、すべての人を愛さないのを待つ必要がない。すべてを愛することを一つでも欠けば、それで人を愛さないことになる。馬に乗るというのは、すべての馬に乗ってはじめて馬に乗ったことになるのではない。一頭でも乗れば、それで馬に乗ったことになる。馬に乗らないというのは、すべての馬に乗らないのを待って、はじめて馬に乗らないことになる。これが一方はすべてに及び、一方は及ばないという場合である。国に住めば、国に住むことになる。国に一軒の家を持っても、国を持つことにはならない。桃の実は桃である。棘の実は棘ではない。人の病を問うのは、人を問うことである。人の病を憎むのは、人を憎むことではない。人の鬼神は人ではない。兄の鬼神は兄である。祭りの鬼神は祭る人ではない。兄の鬼神を祭るのは、兄を祭ることである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』小取獲の親は人なり。獲、其の親に事うるは、人に事うるに非ざるなり。其の弟は美人なり。弟を愛するは、美人を愛するに非ざるなり。車は木なり。車に乗るは、木に乗るに非ざるなり。船は木なり。船に乗るは、木に乗るに非ざるなり。盜人は人なり。盜多きは、人多きに非ざるなり。盜無きは、人無きに非ざるなり。奚を以て之を眀らかにせん。盜の多きを惡むは、人の多きを惡むに非ざるなり。盜の無からんことを欲するは、人の無からんことを欲するに非ざるなり。世、相い與に共に之を是とす。若し是くの若くんば、則ち盜人は人なりと雖も、盜を愛するは人を愛するに非ざるなり。盜を愛せざるは人を愛せざるに非ざるなり。盜人を殺すは人を殺すに非ざるなり。難無し、盜に難無し。此れ彼と類を同じくす。世に彼有りて自ら非とせず、墨者に此れ有りて之を非とするは、故無きなり。所謂る内に膠づき外に閉ざさるるか。心、内に空しきこと毋く、膠づきて解けざるなり。此れ乃ち是にして然らざる者なり。
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『墨子』大取小仁と大仁と、行いの厚きこと相い若し。其の類、申凡に在り。利を興し害を除くなり。其の類、漏雍に在り。親を厚くするは行いに稱わず、而して類、行わる。其の類、江上の井に在り。己が為にせざるの學ぶ可きなり。其の類、獵走に在り。人を愛するは譽の為にするに非ざるなり。其の類、逆旅に在り。人の親を愛すること、其の親を愛するが若し。其の類、官茍に在り。兼愛は相い若く、一愛も相い若し。其の類、死虵に在り。
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『墨子』大取義は利、不義は害なり。志と功とを辯と為す。秦馬に有る有るは、馬に有る有るなり。來たる者の馬を智るなり。衆き世を愛すると、寡なき世を愛すると相い若く、兼愛の有ること相い若し。尚世を愛すると後世を愛すると、一に今の世の若し。人なり。鬼は人に非ざるなり。兄の鬼は、兄なり。天下の利、驩ぶ。聖人に愛有りて利無しとは、俔日の言なり、乃ち客の言なり。天下に人無しとは、子墨子の言なり。猶お在り。已むを得ずして之を欲するは、之を欲するに非ざるなり。臧を殺すに非ざるなり、専ら盜を殺すも、盜を殺すに非ざるなり。凡そ愛人を學ぶ。小圜の圜は、大圜の圜と同じ。方の尺に至りて至らざると、鍾に至らずして至るとは、異ならず。其の至らざるは同じ。逺近の謂なり。是れ璜なり、是れ玉なり。
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『墨子』大取楹を意うは、木を意うに非ざるなり。是の楹の木を意うなり。指の人を意うは、人を意うに非ざるなり。獲を意うは、乃ち禽を意うなり。志と功とは以て相い従う可からざるなり。人を利するは、其の人に非ざるなり。人を富ますは、其の人の為にするに非ざるなり。為す有るなり、人を富ますを以て人を富ますなり。人を治むるに、鬼の為にする有り。賞譽の為に一人を利するは、賞譽の為に人を利するに非ざるなり。亦た至らず、人に貴ぶ無し。親の一利を智るは、未だ孝と為さざるなり。亦た至らず、智に於いて已の利を親に為さざるなり。是の世に盜有るを智るも、盡く是の世を愛す。是の室に盜有るを智れば、盡くは是の室にせざるなり。其の一人の盜なるを智れば、是の二人を盡くさず。其の一人、盜なりと雖も、茍くも其の在る所を智らずんば、盡く其の弱きを惡まんや。
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『墨子』大取其の愛を去りて天下利あらば、去る能わざらんや。昔の墻を知るは、今日の墻を知るに非ざるなり。貴きこと天子と為るも、其の人を利するは正夫より厚からず。二子、親に事うるに、或いは熟に遇い、或いは凶に遇う。其の親するや相い若し。彼の其の行いの益すに非ざるなり、加うるに非ざるなり。外執、能く吾が利を厚くする者無し。藉し臧や死して天下害あらば、吾れ特だ臧を養うこと萬倍するも、吾が臧を愛するや厚きを加えず。長き人の異と短き人の同とは、其の貌の同じき者なり、故に同じ。指の人と、首の人とは異なる。人の體は一貌なる者に非ざるなり、故に異なる。将劒と挺劒とは異なる。劒は形貌を以て命ずる者なり、其の形一ならず、故に異なる。楊木の木と、桃木の木とは同じ。諸そ量數を舉ぐるを以て命ぜざる者は、之を敗るも、盡く是なり。故に一人の指は、一人に非ざるなり。是れ一人の指は、乃ち是れ一人なり。方の一靣は、方に非ざるなり。方木の靣は、方木なり。
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『墨子』大取人を愛するに已を外にせず。己れ愛する所の中に在り。己れ愛する所に在れば、愛は己に加わる。倫列の己を愛するは、人を愛するなり。聖人は疾病を惡み、危難を惡まず。體を正して動かず。人の利を欲するなり、人の害を惡むに非ざるなり。聖人は其の室の為に之を臧せず、故に臧に在り。聖人は子の事を為すを得ず。聖人の法は、親を死亡するも、天下の為なり。親を厚くするは、分なり。死亡を以てするは、體渇して利を興すなり。厚薄有りて倫列無きの利を興すは、己が為なり。語經。語經は白馬に非ず、焉んぞ駒を執らんや。之を求むるを説く。舞説は非なり。漁大の舞大は非なり。三物必ず具わりて、然る後に以て生くるに足る。臧の己を愛するは、己を愛する人の為にするに非ざるなり。厚くして己を外にせず、愛に厚薄無し。己を舉ぐるは、賢に非ざるなり。