墨子 / 大取
小仁與大仁,行厚相若,其類在申凡。興利除害也,其類在漏雍。厚親不稱行,而類行,其類在江上井。不為已之可學也,其類在獵走。愛人非為譽也,其類在逆旅。愛人之親,若愛其親,其類在官茍。兼愛相若,一愛相若,一愛相若,其類在死虵
新字:小仁与大仁,行厚相若,其類在申凡。興利除害也,其類在漏雍。厚親不称行,而類行,其類在江上井。不為已之可学也,其類在猟走。愛人非為誉也,其類在逆旅。愛人之親,若愛其親,其類在官茍。兼愛相若,一愛相若,一愛相若,其類在死虵
書き下し
小仁と大仁と、行いの厚きこと相い若し。其の類、申凡に在り。利を興し害を除くなり。其の類、漏雍に在り。親を厚くするは行いに稱わず、而して類、行わる。其の類、江上の井に在り。己が為にせざるの學ぶ可きなり。其の類、獵走に在り。人を愛するは譽の為にするに非ざるなり。其の類、逆旅に在り。人の親を愛すること、其の親を愛するが若し。其の類、官茍に在り。兼愛は相い若く、一愛も相い若し。其の類、死虵に在り。
現代語訳
小さな仁と大きな仁とで、行いの厚さは同じである。その類は申凡にある。利を起こし害を除くのである。その類は漏雍にある。親を厚くすることは行いと釣り合わないが、類としては行われる。その類は江上の井にある。自分のためにしないことは学ぶことができる。その類は獵走にある。人を愛するのは誉れのためではない。その類は逆旅にある。人の親を愛することは、自分の親を愛することと同じである。その類は官茍にある。兼愛は等しく、一つの愛も等しい。その類は死虵にある。
解説
大取の結びです。「愛人非為譽也」——人を愛するのは誉れのためではない。動機から評判を外すという、墨家が繰り返す主張がここでも置かれます。「愛人之親、若愛其親」は兼愛の定義そのものです。ただしこの一群は、たとえ話の見出しだけが残って本体が失われているため、何を指すのかは分かりません。傷んだまま収めています。
この章句が説くこと
兼愛動機評判親愛
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