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墨子 / 小取

獲之親,人也;獲事其親,非事人也。其弟,美人也;愛弟,非愛美人也。車,木也;乗車,非乗木也。船,木也;乗船,非乗木也。盜人,人也;多盜,非多人也;無盜,非無人也。奚以眀之?惡多盜,非惡多人也;欲無盜,非欲無人也。世相與共是之。若若是,則雖盜人人也,愛盜非愛人也,不愛盜非不愛人也,殺盜人非殺人也。無難盜無難矣,此與彼同類。世有彼而不自非也,墨者有此而非之,無故也焉,所謂内膠外閉與?心毋空乎内,膠而不解也。此乃是而不然者也。

新字:獲之親,人也;獲事其親,非事人也。其弟,美人也;愛弟,非愛美人也。車,木也;乗車,非乗木也。船,木也;乗船,非乗木也。盗人,人也;多盗,非多人也;無盗,非無人也。奚以明之?悪多盗,非悪多人也;欲無盗,非欲無人也。世相与共是之。若若是,則雖盗人人也,愛盗非愛人也,不愛盗非不愛人也,殺盗人非殺人也。無難盗無難矣,此与彼同類。世有彼而不自非也,墨者有此而非之,無故也焉,所謂内膠外閉与?心毋空乎内,膠而不解也。此乃是而不然者也。

書き下し

獲の親は人なり。獲、其の親に事うるは、人に事うるに非ざるなり。其の弟は美人なり。弟を愛するは、美人を愛するに非ざるなり。車は木なり。車に乗るは、木に乗るに非ざるなり。船は木なり。船に乗るは、木に乗るに非ざるなり。盜人は人なり。盜多きは、人多きに非ざるなり。盜無きは、人無きに非ざるなり。奚を以て之を眀らかにせん。盜の多きを惡むは、人の多きを惡むに非ざるなり。盜の無からんことを欲するは、人の無からんことを欲するに非ざるなり。世、相い與に共に之を是とす。若し是くの若くんば、則ち盜人は人なりと雖も、盜を愛するは人を愛するに非ざるなり。盜を愛せざるは人を愛せざるに非ざるなり。盜人を殺すは人を殺すに非ざるなり。難無し、盜に難無し。此れ彼と類を同じくす。世に彼有りて自ら非とせず、墨者に此れ有りて之を非とするは、故無きなり。所謂る内に膠づき外に閉ざさるるか。心、内に空しきこと毋く、膠づきて解けざるなり。此れ乃ち是にして然らざる者なり。

現代語訳

獲の親は人である。しかし獲が親に仕えるのは、人に仕えることではない。その弟は美しい人である。しかし弟を愛するのは、美しい人を愛することではない。車は木である。しかし車に乗るのは、木に乗ることではない。船は木である。しかし船に乗るのは、木に乗ることではない。盗人は人である。しかし盗人が多いのは、人が多いことではない。盗人がいないのは、人がいないことではない。どうしてそう分かるか。盗人が多いのを憎むのは、人が多いのを憎むことではない。盗人がいないことを望むのは、人がいないことを望むことではない。世の人はみなこれを認めている。それならば、盗人は人であっても、盗人を愛するのは人を愛することではなく、盗人を愛さないのは人を愛さないことではなく、盗人を殺すのは人を殺すことではない。ここに難はなく、盗についても難はない。これはあれと同じ類である。世の人はあれを持ちながら自分を非としないのに、墨者がこれを持つと非とされる。理由がない。いわゆる内に固まって外に閉じているというものか。心が内に空きを持たず、固まって解けないのである。これが「それであって、そうでない」場合である。

解説

「殺盜人非殺人也」——盗人を殺すのは人を殺すことではない。兼愛を説く墨家が刑罰と両立させるための論理で、後世まで議論を呼びました。組み立て自体は前段の裏返しで、車は木だが車に乗るのは木に乗ることではない、という誰もが認める例を先に並べてから、盗人の話に移ります。世の人が同じ形の推論を自分では認めているのに、墨者が使うと非とするのはおかしい、という反論も付いています。

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推論兼愛刑罰基準

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