墨子 / 經說上
為衣,成也。治病,亡也。使,令謂,謂也,不必成濕。故也,必待所為之成也。名,物,逹也;有實,必待文多也命之。馬,類也;若實也者,必以是名也命之。臧,私也;是名也,止於是實也。聲出口,俱有名,若姓宇灑。謂,狗犬,命也。狗犬,舉也。叱狗,加也。知,傳受之,聞也。方不㢓,説也。身觀焉,親也。所以謂,名也。所謂,實也。名實耦,合也。志行,為也。聞,或告之,傳也。身觀焉,親也。見,時者,體也。二者,盡也。古兵
新字:為衣,成也。治病,亡也。使,令謂,謂也,不必成湿。故也,必待所為之成也。名,物,逹也;有実,必待文多也命之。馬,類也;若実也者,必以是名也命之。臧,私也;是名也,止於是実也。声出口,倶有名,若姓宇灑。謂,狗犬,命也。狗犬,舉也。叱狗,加也。知,伝受之,聞也。方不㢓,説也。身観焉,親也。所以謂,名也。所謂,実也。名実耦,合也。志行,為也。聞,或告之,伝也。身観焉,親也。見,時者,体也。二者,尽也。古兵
書き下し
衣を為るは、成なり。病を治むるは、亡なり。使。令謂は、謂なり、必ずしも濕を成さず。故なり、必ず為す所の成るを待つなり。名。物は、逹なり。實有れば、必ず文の多きを待ちて之に命ず。馬は、類なり。實の若き者は、必ず是の名を以て之に命ず。臧は、私なり。是の名は、是の實に止まる。聲、口を出づれば、倶に名有り。姓宇灑の若し。謂。狗犬は、命なり。狗犬は、舉なり。狗を叱るは、加なり。知。之を傳え受くるは、聞なり。方、㢓らざるは、説なり。身ら焉を觀るは、親なり。謂う所以は、名なり。謂う所は、實なり。名と實と耦するは、合なり。志、行わるるは、為なり。聞。或いは之を告ぐるは、傳なり。身ら焉を觀るは、親なり。見。時なる者は、體なり。二なる者は、盡なり。
現代語訳
衣を作るのは、成すことである。病を治すのは、亡くすことである。使について。命令して言うのは言うことであって、必ずしも成るとは限らない。理由であって、必ず行ったことが成るのを待つ。名について。物という名は、すべてに及ぶ。実があれば、必ず言葉を多く重ねてそれに名づける。馬は、類の名である。その実であるものには、必ずこの名でそれを呼ぶ。臧は、個の名である。この名は、この実だけにとどまる。声が口から出れば、それぞれ名がある。姓のようなものだ。謂について。狗犬というのは、名づけである。狗犬というのは、挙げることである。狗を叱るのは、加えることである。知について。伝え受けたものは、聞である。その方面に行かなくても分かるのは、説である。自分で見るのは、親である。呼ぶための言葉が名であり、呼ばれるものが実である。名と実とが対になるのが合であり、志が行われるのが為である。聞について。誰かが告げるのが伝であり、自分で見るのが親である。見について。ある時点のものが体であり、二つそろったものが尽である。
解説
この章句が説くこと
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