墨子 / 小取
辟也者,舉也物而以眀之也。侔也者,比辭而俱行也。援也者,曰:子然,我奚獨不可以然也?推也者,以其所不取之,同於其所取者,予之也。是猶謂也者同也,吾豈謂也者異也。夫物有以同而不率遂同。辭而侔也,有所至而正。其然也,有所以然也;同,其所以然不必同。其取之也,有以取之;其取之也同,其所以取之不必同。是故辟、侔、援、推之辭,行而異,轉而危,逺而失,流而離本,則不可不審也,不可常用也。故言多方,殊類異故,則不可偏觀也。夫物或乃是而然,或是而不然,或一害而一不害或一是而一不是也,不可常用也。故言多方,殊類異故,則不可偏觀也非也。
新字:辟也者,舉也物而以明之也。侔也者,比辞而倶行也。援也者,曰:子然,我奚独不可以然也?推也者,以其所不取之,同於其所取者,予之也。是猶謂也者同也,吾豈謂也者異也。夫物有以同而不率遂同。辞而侔也,有所至而正。其然也,有所以然也;同,其所以然不必同。其取之也,有以取之;其取之也同,其所以取之不必同。是故辟、侔、援、推之辞,行而異,転而危,遠而失,流而離本,則不可不審也,不可常用也。故言多方,殊類異故,則不可偏観也。夫物或乃是而然,或是而不然,或一害而一不害或一是而一不是也,不可常用也。故言多方,殊類異故,則不可偏観也非也。
書き下し
辟なる者は、也物を舉げて以て之を眀らかにするなり。侔なる者は、辭を比べて倶に行うなり。援なる者は、曰く、子、然り、我れ奚ぞ獨り以て然りとす可からざらんや、と。推なる者は、其の取らざる所を以て、其の取る所の者に同じくして、之を予うるなり。是れ猶お、謂う所の者は同じきなり、吾れ豈に謂う所の者は異なると謂わんや、というがごとし。夫れ物、以て同じきこと有るも、率ね遂に同じからず。辭にして侔なるも、至る所有りて正す。其の然るや、然る所以有り。同じきも、其の然る所以は必ずしも同じからず。其の之を取るや、以て之を取る有り。其の之を取るや同じきも、其の之を取る所以は必ずしも同じからず。是の故に辟・侔・援・推の辭は、行きて異なり、轉じて危うく、逺くして失い、流れて本を離る。則ち審らかにせざる可からず、常に用う可からざるなり。故に言に方多く、類を殊にし故を異にすれば、則ち偏に觀る可からざるなり。夫れ物、或いは乃ち是にして然り、或いは是にして然らず、或いは一は害あり一は害なく、或いは一は是にして一は是ならざるなり。常に用う可からざるなり。故に言に方多く、類を殊にし故を異にすれば、則ち偏に觀る可からざるなり、非なり。
現代語訳
「辟」とは、別のものを挙げてそれを明らかにすることである。「侔」とは、言葉を並べて一緒に進めることである。「援」とは、「あなたがそうなら、私だけがどうしてそうであってはいけないのか」と言うことである。「推」とは、相手が取らないものを、相手が取るものと同じだとして、それを与えることである。それは「言っていることは同じだ、どうして違うと言えようか」と言うようなものである。物は同じところがあっても、最後まで同じとは限らない。言葉を並べて進めても、行き着くところで正さねばならない。そうであることには、そうである理由がある。結果が同じでも、そうである理由は必ずしも同じでない。それを取るには、取る理由がある。取ったものが同じでも、取った理由は必ずしも同じでない。だから辟・侔・援・推という言葉の運びは、進めば違ってきて、転じれば危うくなり、遠ざかれば外れ、流れれば本から離れる。だから確かめないわけにいかず、いつでも使えるものではない。だから言葉には多くの筋があり、類が違い理由が違えば、片側だけを見てはならない。物には、それであってそうであるもの、それであってそうでないもの、一方は害があり一方はないもの、一方は是で一方は是でないものがある。いつでも使えるものではない。だから言葉には多くの筋があり、類が違い理由が違えば、片側だけを見てはならない。
解説
この章句が説くこと
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