墨子 / 經說下
無,南者有窮則可盡,無窮則不可盡。有窮無窮未可智,則可盡不可盡不可盡未可智。人之盈之否未可智,而必人之可盡不可盡亦未可智。而必人之可盡愛也,誖。「人若不盈先窮,則人有窮也,盡有窮無難。盈無窮,則無窮盡也,盡有窮無難。」不,二智其數,惡智愛民之盡文也?或者遺乎其問也。盡問人,則盡愛其所問。若不智其數,而智愛之盡文也無難。仁,仁,愛也。義,利也。愛利,此也;所愛、所利,彼也。愛利不相為内外,所愛利亦不相為外内。其為仁内也、義外也,舉愛與所利也,是狂舉也。若左目出,右目入。
新字:無,南者有窮則可尽,無窮則不可尽。有窮無窮未可智,則可尽不可尽不可尽未可智。人之盈之否未可智,而必人之可尽不可尽亦未可智。而必人之可尽愛也,誖。「人若不盈先窮,則人有窮也,尽有窮無難。盈無窮,則無窮尽也,尽有窮無難。」不,二智其数,悪智愛民之尽文也?或者遺乎其問也。尽問人,則尽愛其所問。若不智其数,而智愛之尽文也無難。仁,仁,愛也。義,利也。愛利,此也;所愛、所利,彼也。愛利不相為内外,所愛利亦不相為外内。其為仁内也、義外也,舉愛与所利也,是狂舉也。若左目出,右目入。
書き下し
無。南なる者、窮り有れば則ち盡くす可し。窮り無ければ則ち盡くす可からず。窮り有ると窮り無きと未だ智る可からざれば、則ち盡くす可きと盡くす可からざるとも未だ智る可からず。人の之に盈つると否とも未だ智る可からず。而して必ず人の盡くす可きと盡くす可からざるとも亦た未だ智る可からず。而して必ず人を盡く愛す可しとするを誖るとするは、誖るなり。「人、若し盈たずして先ず窮まらば、則ち人に窮り有り。有窮を盡くすに難無し。無窮に盈たば、則ち無窮も盡くるなり。有窮を盡くすに難無し」と。不。其の數を智らずして、惡んぞ民を愛するの盡くを智らんや。或る者は其の問に遺るるなり。盡く人に問わば、則ち盡く其の問う所を愛す。若し其の數を智らずして、之を愛するの盡くを智るに難無し。仁。仁は、愛なり。義は、利なり。愛と利とは、此なり。愛する所と利する所とは、彼なり。愛と利とは相い内外を為さず。愛し利する所も亦た相い外内を為さず。其の仁を内と為し、義を外と為すは、愛と利する所とを舉ぐるなり。是れ狂舉なり。左の目出でて、右の目入るが若し。
現代語訳
無について。南の方角に果てがあるなら尽くすことができる。果てがないなら尽くすことができない。果てがあるかないかがまだ分からないなら、尽くせるか尽くせないかも分からない。人がそこに満ちているかどうかも分からない。だから人を尽くせるか尽くせないかも分からない。それなのに人をすべて愛せるという主張を道理に反するとするのは、それ自体が道理に反する。「人がもし満ちきらずに先に果てがあるなら、人には限りがあり、限りあるものを尽くすのに難はない。無限に満ちているなら、無限も尽きるのであって、限りあるものを尽くすのに難はない」。不について。その数を知らずに、どうして民をすべて愛したと分かるのか。それは問いを取り違えている。すべての人に問えば、問うたすべてを愛することになる。その数を知らなくても、すべてを愛したと分かることに難はない。仁について。仁は愛であり、義は利である。愛と利は、こちら側のことである。愛される者と利される者は、あちら側のことである。愛と利は互いに内と外に分かれない。愛される者と利される者もまた、互いに外と内に分かれない。仁を内とし義を外とするのは、愛とその対象を取り違えて挙げているのであって、乱暴な挙げ方である。左の目が出て右の目が入るようなものだ。
解説
この章句が説くこと
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