師導古典を学びたいすべての人に

墨子 / 經說下

俱,俱一,若牛馬四足。惟是,當牛馬,數牛數馬則牛馬二,數牛馬則牛馬一。若數指,指五而五一。長,宇徙而有處宇。宇南北在且有在莫,宇徙久。無堅得白。必相盈也。在,堯善治,自今在諸古也。自古在之今,則堯不能治也。景,光至景亡,若在,盡古息。景二,光夾。一,光一。光者景也。景,光之人煦若射,下者之人也髙,髙者之人也下。足蔽下光,故成景於上;首蔽上光,故成景於下。在逺近有端與於光,故景庫,内也。

新字:倶,倶一,若牛馬四足。惟是,当牛馬,数牛数馬則牛馬二,数牛馬則牛馬一。若数指,指五而五一。長,宇徙而有処宇。宇南北在且有在莫,宇徙久。無堅得白。必相盈也。在,堯善治,自今在諸古也。自古在之今,則堯不能治也。景,光至景亡,若在,尽古息。景二,光夾。一,光一。光者景也。景,光之人煦若射,下者之人也高,高者之人也下。足蔽下光,故成景於上;首蔽上光,故成景於下。在遠近有端与於光,故景庫,内也。

書き下し

俱。倶に一なるは、牛馬の四足の若し。惟だ是れ、牛馬に當たる。牛を數え馬を數うれば則ち牛馬は二なり、牛馬を數うれば則ち牛馬は一なり。指を數うるが若し、指は五にして五は一なり。長。宇は徙りて處る有るは宇なり。宇の南北、且に在らんとし在ること莫きは、宇の徙ること久しきなり。堅無くして白を得。必ず相い盈たすなり。在。堯の善く治むるは、今より之を古に在くなり。古より之を今に在かば、則ち堯は治むる能わざるなり。景。光至れば景亡ぶ。若し在らば、盡く古より息む。景、二なるは、光、夾めばなり。一なるは、光、一なればなり。光なる者は景なり。景。光の人を煦らすこと射るが若し。下なる者の人は髙く、髙き者の人は下し。足、下の光を蔽う、故に景を上に成す。首、上の光を蔽う、故に景を下に成す。逺近に在りて端有りて光に與る、故に景、庫し、内なり。

現代語訳

俱について。ともに一であるのは、牛馬の四足のようなものだ。ただそれが牛馬に当たる。牛を数え馬を数えれば牛馬は二であり、牛馬として数えれば牛馬は一である。指を数えるようなもので、指は五本だが五は一つである。長について。空間が移って場所があるのが宇である。空間の南北があろうとしてなくなるのは、空間が移ることが久しいからである。堅さがなくて白を得る。必ず互いに満たし合う。在について。堯がよく治めたというのは、今から見て古に置くのである。古から今に置いたなら、堯は治めることができない。景について。光が至れば影は消える。もし残るなら、ずっと古くから止まっている。像が二つになるのは、光が挟むからである。一つになるのは、光が一つだからである。光こそが像を作る。景について。光が人を照らすのは射るようである。下にある光は人の上に至り、上にある光は人の下に至る。足が下の光を遮るから、像は上にできる。頭が上の光を遮るから、像は下にできる。遠近において端があって光と交わる。だから像は倒れ、内側にできる。

解説

針穴写真の原理を述べた、有名な一段です。「光之人煦若射」——光が人を照らすのは矢を射るようだ、と直進性を押さえたうえで、足が遮った光は上に、頭が遮った光は下に像を作ると説明します。だから像は逆さになる。紀元前の記述としては驚くべき正確さです。「堯善治、自今在諸古也」——堯がよく治めたというのは今から古に置いた言い方だ、という時制の分析も含まれます。

この章句が説くこと

光学直進観察時制

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる