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墨子 / 經說上

兩目端,而後可。次,無厚而厚,可。法,意、䂓員,三也,俱可以為法。佴,然也者,民若法也。彼,凡牛,樞非牛,兩也,無以非也。辯,或謂之牛,或謂之非牛,是争彼也。是不俱當。不俱當,必或不當。不若,當犬。為,欲其指,智不知其害,是智之罪也。若智之、慎文也,無遺於其害也,而猶欲之,則離之。是猶食脯也,騷之利害,未知也,欲而騷,是不以所疑止所欲也。廧外之利害未可知也,趨之而得力則弗趨也,是以所疑止所欲也。觀為窮知而於欲之理。食脯而非也,指而非愚也,所為與不所與為相疑也,非謀也。己

新字:両目端,而後可。次,無厚而厚,可。法,意、䂓員,三也,倶可以為法。佴,然也者,民若法也。彼,凡牛,枢非牛,両也,無以非也。弁,或謂之牛,或謂之非牛,是争彼也。是不倶当。不倶当,必或不当。不若,当犬。為,欲其指,智不知其害,是智之罪也。若智之、慎文也,無遺於其害也,而猶欲之,則離之。是猶食脯也,騷之利害,未知也,欲而騷,是不以所疑止所欲也。廧外之利害未可知也,趨之而得力則弗趨也,是以所疑止所欲也。観為窮知而於欲之理。食脯而非也,指而非愚也,所為与不所与為相疑也,非謀也。己

書き下し

兩目、端にして、而る後に可なり。次。厚さ無くして厚し、可なり。法。意と䂓と員と、三なり、倶に以て法と為す可し。佴。然なる者は、民の法の若きなり。彼。凡そ牛と、樞は牛に非ずとは、兩なり、以て非とする無きなり。辯。或いは之を牛と謂い、或いは之を牛に非ずと謂うは、是れ彼を争うなり。是れ倶には當たらず。倶には當たらざれば、必ず或いは當たらず。若かざれば、犬に當たる。為。其の指すを欲して、智、其の害を知らざるは、是れ智の罪なり。若し之を智り、文を慎まば、其の害に遺す無し。而も猶お之を欲せば、則ち之を離る。是れ猶お脯を食らうがごときなり。之を騷るの利害、未だ知らざるなり。欲して騷るは、是れ疑う所を以て欲する所を止めざるなり。廧外の利害、未だ知る可からざるなり。之に趨きて力を得れば則ち趨かざるなり。是れ疑う所を以て欲する所を止むるなり。觀て知を窮めて欲の理に於いてすと為す。脯を食らいて非なり、指して愚に非ざるなり。為す所と為すに與せざる所と相い疑うは、謀に非ざるなり。

現代語訳

両目が端にそろって、はじめて見える。次について。厚さが無くて厚いというのは、成り立つ。法について。意と規と円と、三つとも法とすることができる。佴について。そうであるとは、人が法に従うようなものである。彼について。すべて牛であるということと、枢は牛でないということは、二つであって、否定しようがない。弁について。ある者はこれを牛といい、ある者はこれを牛でないという。これがその「彼」を争うということである。両方とも当たることはない。両方とも当たらなければ、必ずどちらかが当たっていない。それでなければ、犬に当たる。為について。それを目指しながら、知恵がその害を知らないのは、知恵の罪である。もし知っていて言葉を慎むなら、その害を見落とすことはない。それでもなお望むなら、そこから離れる。これは干し肉を食べるようなものだ。それが痛むかどうかの利害はまだ分からない。分からないのに食べるのは、疑わしさによって欲を止めないということである。塀の外の利害はまだ分からない。そこへ行って力が得られるなら行かない。これは疑わしさによって欲を止めるということである。見て知を尽くし、欲の道理に当てる。干し肉を食べるのは誤りであり、指し示すのは愚かではない。行うことと行わないこととが互いに疑わしいのは、はかりごとではない。

解説

「是不俱當。不俱當,必或不當」——二人が争っているとき、両方とも当たっていることはない。どちらかは必ず外れている。矛盾律を明快に述べた一行で、中国論理学の代表的な命題として引かれます。後半は、分からないことをどう扱うかの議論です。疑わしいときに欲を止めるか止めないかを、干し肉と塀の外という二つの例で対にして示しています。

この章句が説くこと

矛盾判断論理疑い

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